思想家のジャン・ボードリヤールが何十年も前から見抜いていたように、モノがあふれる現代社会と、モノがなかったかつての村社会とでは、アイデンティティを手に入れる手段がまるで違う。
現代社会の我々は、自分が何者であるかを「何を買うか」によって認識せざるをえない。ブランドのわずかな違いに価値を見出してむらがり、人とは少し違う個性を手に入れるために商品を吟味する。
それは何も高級ブランド品に限った話ではなく、朝食のパンひとつさえ、我々はフジパンの本仕込みにするかパスコの超熟にするか、それともヤマザキのバターロールにするか悩むし、洗濯洗剤はアタックかアリエールか、柔軟剤は使うか、小腹が減ったら吉野家に行くかすき家に行くか、それともセブンイレブンのおにぎりで済ませるか等々、我々は日々無意識のうちに膨大な「違い」を認識し、消費行動へと移している。
安っぽいミュウミュウではなくセリーヌのバッグを欲する心理と、フジパン本仕込みではなく30円高い山崎ダブルソフトにしようという心理は根底のところで同じだ。消費の積み重ねによって「自分」というものができていくからだ。今や「ブランド物にこだわらない」ことすら、「ブランド物を買わない自分」を手に入れる消費行動に見えてしまう。
だから梅木雄平氏は消費社会の一側面を示したにすぎないし、反発して「カバンごときでくだらない」とか、「私はこのバッグが好きだ文句言うな」と主張する人たちもまた、消費社会のアイデンティティ獲得ゲームに巻き込まれていることに変わりはない。
梅木氏に怒るのもいいが、ブランドの違いにマニアックなほどこだわる彼を見てむしろ「我が振り直せ」と自省するくらいでいいのだと思う。ただ、彼だけが今回非難されてしまったのは、「何を言ったかではなく誰が言ったか」で全てを審判するネット社会のルールが、彼には少々不利に働いたからだろう。
<文・北条かや>
【北条かや】石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『
キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。著書は『
整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『
本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『
こじらせ女子の日常』(宝島社)。最新刊は『
インターネットで死ぬということ』(イースト・プレス)。
公式ブログは「
コスプレで女やってますけど」