しかし、エントリー数が増える一方で、参加者の大会へのモチベーションはまだまだ低かった。「スキルアップや練習のために出てきたけど、次はもういいかな」という人も多かったという。
「次のモチベーションをこっちが考えないといけないと思って、YouTubeにバトルの動画を配信しはじめたんです。これはずーーーっと『やったら面白いよね』とみんな口にはしてたんですけど、誰も実際にはやらなかったんですよ。みんなホント口だけで(笑)」
アイデアは思いついた人が凄いのではなく、実行した人が凄い……とよく言うが、後身の大会『戦極MC BATTLE』が2500人の観客を集める規模になったのも、こうした仕掛けを実現したからだろう。
「大会初期の映像は撮影もぜんぶ自分でやっていましたね。最初は出場しているMCから借りたデジカメで撮っていたんですけど、2回目も頼んだら貸すのを嫌がられて(笑)。それで2万円くらいのカメラを買ってきました。安いから全然充電も持たなくて。予備の電池パックを4つ買って、充電を繰り返しながら撮影していたのを覚えてます」
アップした動画は、すぐに再生数が伸びたわけではなかったが、着実に反響は広まっていったという。
「動画を観た出場者の周辺で『あのバトルはヤバかったね』みたいな話がされるようになってきて。当時はYouTubeに動画をアップする大会はなかったから、エントリーするMCにとっては『出場すると動画を公開してもらえるのか』という喜びはあったと思います。それからはエントリーするMCも増えていきましたね」
また、以前の『戦極MC BATTLE』では、イベントのフライヤーもなかったという。そこでもMC正社員は「じゃあオレが作るわ」と名乗りを挙げた。
「最初はイベント運営に関わっても、5000円しかもらえなくて(笑)。途中から2万円になりましたけど、動画の編集やフライヤーのデザインはお金を払って人に頼んでいたので、自腹を切ってる金額のほうが多かったですね」
当時、印刷会社で営業の仕事をしていたMC正社員は、フライヤーのデザインを社内のデザイナーに頼み、「上司に見つかってメチャクチャ怒られた」そうだ。
「『仕事を発注してるんだから別にいいじゃないっすか』とゴリ押ししてましたね(笑)。動画の編集も『動画、編集、埼玉』とかで検索して、近くで頼める人を探しました。UMBの動画を見せて『こんな雰囲気の映像にしたいんです』と。あと、大会の優勝者に賞金も出したいと思って、埼玉の服屋に『スポンサーになってほしい』と飛び込みで営業したりもしてましたね」
足も使うし、自腹も切る。仕事がサボりがちになっていた是非はさておき、MCバトルの運営に大変な労力を割いていたわけだが、「当時は『自腹を切ってる』って感覚もなかったし、今より全然楽しかった」と振り返る。
「30半ばを過ぎても全然売れなくて、今もガラガラの会場でライブをしているラッパーは山ほどいますけど、そいつらの『オレはこれがヒップホップだと思うから!』みたいな姿勢と同じ感覚ですよ。守るものもなく、プレッシャーもなくて、ただ『バトルを盛り上げたい』ってことしか考えていませんでした」
当日、つつがなくイベントを成立させるだけでなく、事前の告知や事後のプロモーションにも力を入れる。単に出場してもらうだけでなく、次回へのモチベーションを維持してもらう……。イベントを継続するためのサイクルがゆっくりと回り始めた。
<構成/古澤誠一郎>
【MC正社員】戦極MCBATTLE主催。自らもラッパーとしてバトルに参戦していたが、運営を中心に活動するようになり、現在のフリースタイルブームの土台を築く
戦極MCBATTLE主催。自らもラッパーとしてバトルに参戦していたが、運営を中心に活動するようになり、現在のフリースタイルブームの土台を築く