今回の北京での報道映像を見て筆者は2010年5月の金正日総書記の大連訪問を思い出した。
2010年5月3日、金正日総書記が訪中、大連へ入ったらしいという一報が入り、日本のテレビ局の取材協力をした。中国は5月1日からのメーデー連休中だったが、金総書記が宿泊した「大連フラマホテル」は封鎖された。
警備自体は首都に比べ地方都市なので北京のほうが厳しいと思うが、大連という街は狭く日本人も多く、何よりフラマホテルはビジネス街にあるので誰でも近づける場所にあった。しかも、フラマホテルの1階エントランスは全面ガラス張りで外から丸見えの構造だった。にもかかわらず、各国のメディアで金総書記らしき人物を捉えたのは足を引きずりながら歩く一瞬だけだった。
当時、金正日総書記は脳卒中の後遺症で麻痺が残っているとされ動向が注目されていた時期で、大連の中心街でここまで隠し通せるのがすごいと恐怖すら感じたものだ。
平壌から乗り入れた鉄道(通称、将軍列車)には専用のベンツも格納できるので大連駅のホームから直接乗り降りしていた(※将軍列車については、『
将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情』国分隼人著・新潮社刊 に詳しく紹介されている)。
連休中とはいえ、人が多い午後5時などに大連の幹線路が30分ほど完全封鎖され大いに迷惑を被った一般市民の目の前を車列が通過していった。うち1台だけが胴長のベンツで、どの報道陣もここに金正日総書記が乗っているのかと中心的にカメラを回していたが実はダミーだったことが後に分かった。
取材班には、金総書記がどこどこへ視察へという情報が入るとそのルートを探して先回りして道路の封鎖情報を集めて教えた。しかし、マスコミへの攪乱作戦で異なる場所で複数同時に封鎖が始まるなどして取材班は見事に振り回されたのであった。
将軍列車が格納された旧満鉄の鉄道施設(大連駅は左方向)
記者は取材班本体とは別に将軍列車を追いかけた。大連駅は遼東半島の先端に位置するので停車させる場所は限られておりすぐに見つけることができた。そこは大連駅奥、日本時代に満鉄が作った巨大ターンテーブルが残る車両基地。その場所は勝利橋(日本時代の1907年に日本橋として架けられた橋)から丸見えなわけだが、橋周辺には2、3メートルおきに明らかに普通の人ではない鋭い眼光の私服公安が警備しており、一瞬でも立ち止まると「移動しろ」と促された。将軍列車は、青いトタン板のような鉄板で覆われていたがほぼ車両は丸見えだった。
同行した取材班では日本人記者が1人拘束されている。金正日総書記の姿や車列を撮影するために確保した5つ星ホテルの客室へ公安が踏み込み取材テープを没収されたためだ。中国は例え外資5つ星ホテルであっても公安へ顧客情報やマスターキーを簡単に提供してしまうのだ。