小室哲哉も直面した現実。高次脳機能障害の介護とは“同じ環境を維持し続けること”

筆者の父親も、KEIKO氏と同じ高次脳機能障害をかかえている

 不倫報道の渦中にある小室哲哉氏。先日の会見では、音楽活動からの引退を発表するなど、日本に大きな衝撃をもたらした。  小室氏の妻と言えば、彼自身も所属する人気グループglobeのボーカリストKEIKO氏だ。彼女がくも膜下出血で倒れたのは、2011月10月。後遺症が残ったことは世間の知るところだが、その後遺症「高次脳機能障害」そのものについてはあまり知られていない。  高次脳機能障害とは、頭部外傷や脳血管障害などの脳損傷がもたらす認知機能障害のことである。  症状は「記憶障害」や「注意障害」、計画通りに物事を進められなくなる「遂行機能障害」、感情のコントロールが効かなくなったり、子どもっぽくなる「社会的行動障害」などがあるが、症状の度合いには個人差があり、そのことが主治医や担当医に認知されなかったり、処置が難しかったりとされる要因になることもある。  筆者の父親も、KEIKO氏と同じ高次脳機能障害をかかえている。  既述通り、症状には個人差があり、介護の方法も千差万別だが、同障害がどういうものなのか、父の事例を通し、少しでも分かってもらえればと思う。  父が倒れたのは14年前の冬だった。経営する工場のトイレで息んだ際に意識を失うも、幸い20分後に回復。自室の電話まで這って戻り、自ら助けを呼んで病院に運ばれた。病名はKEIKO氏と同じ「くも膜下出血」だった。  集中治療室で2週間生死をさ迷う父に動揺しながらも、筆者と母、妹は、彼に身体的麻痺が残っていないことが分かると胸をなでおろした。が、それも束の間、一般病棟に移った父との会話に、すぐに違和感を覚えるようになった。  筆者と母2人で見舞に行くと、「次女はどうした」と30秒ごとに聞いてくる。10年も前に他界した自身の母親を「さっきまでおったのに」と探したり、行ったこともないアフリカに「昨日まで出張しとったやん」と繰り返したりする。  それでも当初は「麻酔や手術のせいだろう」と楽観的に見守っていたのだが、ある日、入院している意味さえ理解できないでいたのか、腰に巻かれた抑制帯を、病室に置きっぱなしになっていた髭切バサミで切り裂き、裸足のまま病院を抜け出したことで、筆者を含め、家族一人ひとり何かしらの覚悟をもって、彼の退院の日を迎えるに至った。  幸か不幸か、高次脳機能障害を抱える人たちの記憶障害は、高齢者がかかる「健忘症」とは大きく異なり、一見すると、健常者とは全く変わらず、軽い会話ならば父が同障害をかかえていることすら気付かれないし、自身にも自尊心が残っていることがほとんどだ。  加えて、当時はまだ同障害について、医者の間でもあまり認知されておらず、「多少強引でも社会復帰こそ最高のリハビリになる」というのが一般的な見解だった。  こうして自身の経営する工場に復帰した父は、久々の仕事にやる気みなぎらせ、自らすすんで仕事をしようとするのだが、その気持ちとは裏腹に、得意先が鳴らす電話を取っては、受話器を置いた瞬間に相手が誰だったのかを忘れてしまったり、得意先に同じことを延々繰り返し話したりするようになり、結果的に父が現場に立つほど、会社の信用度が落ちていくという状態に陥っていった。  感情の起伏が激しいのも高次脳機能障害の特徴の1つで、怒りと悲しみにおいては、特にすさまじく、いつも使っているペンをどこにしまったかを忘れ、探しても出てこないと怒り狂い、「落ち着いて」の言葉に自尊心が傷つき落ち込む。  当時の父も、KEIKO氏と同様、感情レベルは小学3~4年生ほどだったと思う。父にまさか「(ペンがなくなったくらいで)泣かないで」と言い放つ日がくるとは、夢にも思っていなかった。  その間家族は、日本でも数少ない高次脳機能障害者向けのリハビリ施設を訪ね、専門の医師にすがったのだが、ここでも当時はまだ、それぞれの患者に合ったリハビリプログラムがしっかりと確立されておらず、「1+2は?」「これと同じ記号を探してください」という看護師の質問に、やはり自尊心を傷つけられた父は、施設へ通わなくなり、やがて仕事に対する意力も失っていった。
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高次脳機能障害を抱えた人にとって、最たる恐怖は「環境の変化」
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