お笑い評論家が考察する、「ベッキー尻蹴り」肯定の論理

「暴力」そのものと、お笑いにおける「暴力に見える行為」は似て非なるもの

 そもそも、バラエティ番組の中で本当の意味での「暴力」が行使されることは基本的にない。  演劇や映画のワンシーンで、人が暴力をふるった(ように見える)からといって、それで暴行罪が成立することはないだろう。バラエティ番組における暴力もそれと同じだ。すべてはフィクション空間の中で行われていることだ。それを見て「痛そう」「かわいそう」などと思うのは自由だが、本当に痛いかどうかは視聴者には分からないし、分かる必要もない。  ただ、実際には「バラエティ番組で行使される暴力に見える行為」を「暴力そのもの」に違いないと考えてしまう人が大勢いる。そのことには明白な理由がある。 『笑ってはいけない』を含む多くのバラエティ番組は、本当は「フィクション(虚構)」であるにもかかわらず、「ノンフィクション(現実)」のような体裁を取っているからだ。なぜなら、そのほうが真に迫っている感じがして、視聴者には面白いと感じられるからだ。  これは暴力的な表現に限った話ではない。グルメ番組で芸能人が料理を食べて「おいしい!」と叫ぶのも、芸人がプライベートの女性関係を暴露されてうろたえるのも、すべては人前で見せるための「ショー」の一環である。「バラエティ番組で行使される暴力に見える行為」も、そういう性質のものだということだけは理解していただきたい。  次に、Cの意見について。恐らく、今回のベッキーの件をことさら問題視している人の多くは、Cの意見を持っているのだと思われる。  ただ、Cの意見に関しては、それを主張する側がバラエティ番組の演出について基本的な事実誤認をしているような気がする。  批判者の多くは、ベッキーが蹴られることが決まった場面で「ベッキー 禊のタイキック」というテロップが表示されたことから、ベッキーがミュージシャンとの不倫事件で世間を騒がせた禊のために蹴られることになった、という解釈をしている。  もちろん、このテロップを文字通り読めば、そういう解釈はできなくもない。ただ、それはこの場においてベッキーがなぜ蹴られることになったのか、という理由の本質的な部分ではないのだ。  一から簡潔に説明すると、そもそも『笑ってはいけない』という番組では、レギュラー陣の5人が「笑ってはいけない」という課題を与えられている。何かがあってこらえきれずに笑ってしまった場合には、棒のようなもので尻を叩かれるという罰を受ける。これがこの番組の基本ルールである。  そして、この基本ルールに対する例外として、ココリコの田中直樹が理不尽に尻を蹴られる、というお決まりの流れがある。全員が見ているVTRの中で「田中タイキック」という文字が表示されたり、音声が流れたりすると、田中は笑ってもいないのに、強制的に尻を蹴られる羽目になるのだ。  そして今回、ベッキーは田中を定番の罠にはめる仕掛け人の役を務めていた。  ところが、田中が蹴られた後で、彼女には思わぬ展開が待ち受けていた。画面の一部に「Becky THAI KICK(ベッキータイキック)」という文字が表示されていることが判明して、仕掛け人だったはずのベッキーが逆に蹴りを食らう立場に陥ってしまったのだ。  これは「逆ドッキリ」という典型的な手法である。人を罠にはめる「ドッキリ」を仕掛けていると思っている側が、実は罠にはめられていた、というのが「逆ドッキリ」である。  この手法自体はバラエティ番組では珍しくも何ともない。だからこそ、私のような一般的なバラエティ視聴者にとっては、ベッキーのこの件だけがことさら問題になっている意味がよく分からなかったのだ。  ベッキーが理不尽に蹴られているのがひどいって? いや、そもそも、出演者が理不尽な目に遭っているときのリアクションを楽しむというのが「ドッキリ」や「逆ドッキリ」の基本的な形なんですよ、と言いたくなってしまうのだ。
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ベッキーのリアクション芸はやはり一流であった
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