ここはひとつ、番組企画の中枢にいるであろう松本人志さんの私見を問うてはどうか。
いうまでもなく、松本人志さんは「タブー」や「暴力」をコントにしてみせる才能の持ち主だ。90年代末に放送されていた人気バラエティ番組「一人ごっつ」シリーズ(フジテレビ系)では、「パートナーの連れ子に暴力をふるう内縁の夫(らしき男性)」の様子を一人芝居で再現したこともある。
殴られていたのは人形だったが、幼い子どもに暴力をふるう父親を「笑う」という企画は、児童虐待が問題化した00年代であれば「完全にアウト」だ。
が、あれが「暴力というリアルをシニカルな笑いに変えてみせる」というチャレンジであったのなら、また、松本人志さんの中で暴力へのアンチテーゼがあったからこその「メタ表現」だったとすれば、違った視点が出てくるかもしれない(それでも問題は残るが)。
さて、「ガキ使」で行われたベッキーへの暴力は、「あえてのメタ表現」なのか。
ベッキーの腰を蹴ることで、メディアが彼女にはたらいた暴力をカリカチュア的に再現する意図があったのか。
また、彼女に対する「私刑」を「タイキック」の比喩で表現し、議論を呼ぶ意図があったのか。
それとも、ただの軽いノリで行われた「おいしい演出」に過ぎなかったのか。松本人志さんの意見が聞きたい。
彼が黙っているうちは、あの「タイキック」は暴力以外のなにものでもない。
<文・北条かや>
【北条かや】石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『
キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。著書は『
整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『
本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、『
こじらせ女子の日常』(宝島社)。最新刊は『
インターネットで死ぬということ』(イースト・プレス)。
公式ブログは「
コスプレで女やってますけど」