『私をスキーに連れてって』を30年ぶりに見てセンチメンタルになったという話 「サラリーマン最終列車」#1

サラリーマンが輝いて見えた時代

 今この映画を改めて見ると、「スーパーマンだって普段はサラリーマンやってるんだから」というセリフもあるように、これは単なるスキー映画ではなく、「新しいサラリーマン像」を提案した映画でもあったのだという印象を強く受ける。  商社の軽金属部に配属されている主人公(三上博史)は、仲間と毎週末スキーに興じ、仕事はいつも上の空。見積りも満足に作れず、上司からはダメ社員とみなされている。一方で、自分とは関係のないスポーツ部署で扱っているスキー・ブランドの仕事に自発的に参加し、発表会イベントなどを企画して、趣味と仕事を一本化させようとする。  会社よりも仲間、仕事よりも趣味。そのうえで、組織の縦割りを越境し、自分が輝ける仕事を自ら創りだして遊ぶように働く。のちの「ワークライフ・バランス」ブームを先取りしていたともいえる、そんな主人公のワークスタイルは、会社と上司が全てだった昭和のサラリーマン像とは明らかに一線を画していた。主人公に反感を抱くライバル社員(竹中直人)は、狭い会社世界で社内政治にのみ奉仕する「古いサラリーマン」として対照的に配置され、主人公は強烈なコントラストで浮かび上がる。  高度経済成長が終わった’70年代以降、サラリーマンを描くコンテンツは、『毎日が日曜日』(城山三郎)から『ダメおやじ』(古谷三敏)に至るまで、自虐的な社畜文脈が主流となり、理想のサラリーマン像は失われていた。尾崎豊は「サラリーマンにはなりたかねえ」と歌い、あの課長島耕作ですら、’80年代半ばまではションボリ冴えない中年管理職として描かれていた。  ‘80年代の若者にとって、サラリーマンとは「なりたくないけどなるしかない」宿命づけられた窮屈な生き方として広く刷り込まれていたのだ。  会社にいながら会社に縛られない『私をスキーに連れてって』の主人公は、そうした’70年代的サラリーマン像に新しい理想像を上書きした、サラリーマンのニュータイプ(=新人類)だった。背負い式ライトで真夜中のゲレンデを照らしながら栄光に向けて滑走する劇中場面のように、サラリーマンという暗い存在を一気に輝かせてくれるように思えたからこそ、この映画はスキー映画の枠を超えて時代と共振したのだろう。  バブルの時代、一瞬だけ、確かにサラリーマンは輝いた。しかし結局、バブルの崩壊とともに、再び我慢して会社に依存するしかない「社畜」という扱いに戻っていく。失われた20年の中で、スキーやスノボなどという金と時間のかかる趣味も下火になり、この映画も下の世代に語り継がれないまま風化していった。  50代になった主人公が、もし今も同じ会社でサラリーマンを続けていたら、スキー・ブランド事業は採算が合わず縮小され、スキー以外の仕事が出来ないために行き場を失い、社内失業者として窓際管理職を務めていることだろう。ただでさえ、大量採用されたバブル世代はリストラの適齢期を迎え、会社によっては不良債権扱いをされ始めている。SKI SKIのCMを見ても、スキーどころではないのかもしれない……。<文/真実一郎> 【真実一郎(しんじつ・いちろう)】 サラリーマン、ブロガー。雑誌『週刊SPA!』、ウェブメディア「ハーバービジネスオンライン」などにて漫画、世相、アイドルを分析するコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(新書y)がある。
サラリーマン、ブロガー。雑誌『週刊SPA!』、ウェブメディア「ハーバービジネスオンライン」などにて漫画、世相、アイドルを分析するコラムを連載。著書に『サラリーマン漫画の戦後史』(新書y)がある
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