アルゼンチン潜水艦遭難報道に隠れて、アルゼンチン軍事政権下時代の「闇」がついに結審

 裁判は2012年11月に始まり、当初被告人は68人だった。しかし、収監中に14人が死亡している。5年の歳月をかけた歴史的な裁判であった。  行方不明者の母親たちを中心に結成された人権団体「5月広場の母たち」として抗議活動を始めた一人の母親ノラ・コルティーニャスは「この歴史が幕を閉じたのではない。世界にこの虐殺があったことを知ら示すことに(この裁判は)役に立っている」と述べている。「5月広場の母たち」にとって、行方不明になっている家族全員の行方が解明がされるまで彼女たちの戦いは終わることはない。今回の裁判は彼女たちが戦っている事実解明に繋がるひとつの関門でしかないのである。(参照:「Infobae」)  判決が下されると、生存者や行方不明になっている人たちの家族らの中から、被告席の方に向かって「暗殺者」と叫ぶ声が聞かれ、主犯者のリーダーとされている当時海軍のキャプテンだったアルフレド・アスティッツの方を向かって「アスティッツ、ビデラのように囚人として刑務所で死ぬことになるのだ」と叫んだ者もいたという。  ビデラとは軍人ホルヘ・ラファエル・ビデラのことで、イサベル・ペロン大統領就任中にクーデターを敢行して軍事政権を確立させた時のリーダーだった。1976年から軍事政権が始まった最初の大統領であった。2013年5月に87歳で刑務所で亡くなった。(参照:「Infobae」)  アルゼンチンは第二次世界大戦以降も折々軍事政権が誕生している。そして、1983年に軍事政権が終止符を打ってから民主化になって次第に民意が力をつけるようになっていた。そして、軍事政権中の軍人が犯した犯罪を裁くだけの司法制度の独立が確立されるようになったのである。今回のESMAの裁判はアルゼンチンの民主政治の確立と司法制度の独立を証明する偉業でもあるのだ。 <文/白石和幸 photo by Adam Jones via flickr(CC BY-SA 2.0) > しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。
しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身
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