制服に対する日本人の珍妙な価値観「警察や消防団員はカフェで甘いコーヒーを飲んではいけない、ブラックは可」

制服は「プライド」と見るアメリカ人、「自制の象徴」と見る日本人

 制服には、人を変える力がある。警察・消防の制服や医療関係者の白衣などはもちろん、アルバイト先のエプロンやサラリーマンのスーツ、危険な作業時のヘルメットなども身に着けた途端に頭のどこかで「よし」「さてと」が聞こえてくるから不思議だ。こうした心的変化は心理学上でも「制服効果」または「ドレス効果」として知られており、制服を身に着けることで、団結力やプライドの維持、オン・オフの切り替えなどの心的変化が起こるとされている。  制服がもたらす影響は、着ている本人だけでなく、見る側にも大きい。  例えば、医療服には「頼れる」「痛いことをされる」、警官の制服には「正義」や「真面目」などの印象があるため、病院嫌いな人が、健康診断で白衣を見るだけで血圧が上がったり、制服警官に「この車に爆弾が仕掛けられているという情報があった」と言われれば、3億円という大金を積んでいても車を委ねたりしてしまうのだ。  制服は無論、世界のあらゆるシーンで重宝されているが、中でも日本は他国以上に制服の着用に意味を持たせる傾向がある。幼稚園児には青いスモックに黄色い帽子、小学生にはランドセルを背負わせ、中高生は制服で揃える。その後、大学ではじけた個性は、やがて再び「リクルートスーツ」によって形を整えられる。  こうして同じコミュニティの者同士、同じものを幼少期から身に着けることで、自分の所属やポジションの認識、規律の順守や忠誠心が育まれ、どの国よりも協調性に秀でた国民性が生まれる。が、その反面、見た目主体で集団統率を図りすぎると、過度に個性や願望が抑えられ、没個性に陥りかねない。「制服は朝何を着るか悩まなくて楽」という考え方は、こうした兆候の現れでもある。  一方の「個性の塊」であるアメリカ人も、日本人に劣らぬほど“ユニフォーム”が好きな性分である。身に付けているもので自分のプライドを維持しようとする気持ちは、むしろ日本人よりも強い。  社会人になっても、卒業した名門大学の名が入ったパーカーを着ているニューヨーカーとは毎日のようにすれ違うし、以前紹介した、「医者が医療服のまま外出するのは、異性へのアピールのためだ」とするアメリカ人医師の意見も、彼らのユニフォーム好きを裏付けるものと言えるだろう。  しかしやはり彼らには、日本のような制服による行動範囲の制限や自粛は、ほとんどない。「いい悪い」はさておき、制服を着ていても一人ひとりの個性や主張が満ち溢れているのだ。  筆者が執筆作業に利用しているアメリカ某大手のコーヒー店で見るのは、エプロン姿のスタッフが客と混ざって休憩している光景だ。席を探し歩く客を前に、堂々とテーブルを陣取るエプロン姿は「今は休み時間だから」と、悪びれる様子もない。それに対し、客側も文句を言うことは決してないのだ。こうみると、アメリカ人は“制服”ではなく“時間”でオンとオフを切り替えているといえるだろう。  それに対し、労働時間が長く、オンとオフの境界線が曖昧になりやすい環境にある日本人は、“制服”を切り替えのアイテムとして意味付けようとしているのかもしれない。そう考えると、制服を着たまま食事に行く消防団員に物言いがついたり、休憩中でも制服姿が「カフェでお茶」だと違和感を抱いたりするのにも合点がいく。  「制服は七難隠す」と言われる通り、もともと制服には余計な個性や情報を抑え、統率を図る目的があるため、日本の制服の意味付けは間違ったことではない。ただ、だからこそ、制服からの情報ばかりに頼ってしまうと、その固定観念から抜け出せず、抱く違和感をまるごと「悪」に変換してしまいかねない。クサい言い方になるが、大事なのは何事にも「中身」だ。  “スイーツ系コーヒー”まではいかずとも、「休み時間に制服で食事やコーヒー」くらいのリフレッシュに対する世間の許容は、時にクレームで改善させる以上に日本をよりよい国にするのかもしれない。 【橋本愛喜】 フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。その傍ら日本語教育やセミナーを通じて、60か国3,500人以上の外国人駐在員や留学生と交流を持つ。ニューヨーク在住。
フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働環境問題、ジェンダー、災害対策、文化差異などを中心に執筆。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書) Twitterは@AikiHashimoto
1
2