「餃子の王将」だけではない。日本のラーメン店が中国進出に失敗する要因

餃子の王将

2014年10月末に撤退発表の『餃子の王将』

 先日もお伝えした「餃子の王将」撤退(http://hbol.jp/13707)を見ても明らかなように、日本のラーメン店が中国に出店した場合、撤退や苦戦する店も少なくない。  筆者が住む大連も福岡から1時間半、東京から2時間半という距離や、親日的な土地柄を反映してか、第一号店として中国進出の足がかりにされる場所だ。  しかし、そんな親日的な土地であっても苦戦する店があるのだ。例えば、2005年1月オープン、2014年10月末で撤退発表した『餃子の王将』以外にも、石川に本社があり北陸3県に強みを持つ『8番らーめん』(2011年9月オープン)は2014年春に撤退を決め、岡山に本店を持つ『ラーメン大統領』は2012年秋に撤退している。また、長野の『助屋』(2007年10月オープン)も苦戦中で、営業は続けているが店舗数を減らして縮小している。  果たして、なぜこれらの店はうまくいかなかったのか。在中の日本人と中国人双方の声を聞くことができる筆者が、あくまでも素人目線ではあるものの一消費者として、それぞれの撤退店を分析してみた(※『餃子の王将』は、冒頭で挙げた記事で書いているのでそちらをご覧頂きたい)。 1:大規模店に固執しすぎたり、出店時のリサーチミスなど
8番らーめん

大連空港へ出店した『8番らーめん』(2012年3月22日撮影)

 まず、『8番らーめん』だ。北陸中心のチェーンだが、日本国内の店舗数同等規模の店舗数の100店以上をタイで展開している。タイではかなり知られた存在だ。メインはチャンポンのようなさらっとした豚骨スープのラーメンで、味も悪くはなかった。大連のローカル大型日本料理店と業務提携し、大連空港に日系飲食店として初出店も果たしている。しかし、客席数が多い大型店に固執し、ロケーションも、地元を知る人間の目からすればリサーチ不足を感じざるを得ない展開だった。ブランド作りのための戦略が不足していたのかもしれない。最後まで残っていた大連の店舗も「現地パートナーの都合により一時休止」(運営会社ハチバンのIR資料より)として事実上撤退した(余談だが、同社は過去数度、中国上陸をするもいずれも撤退している)。 2:現地店舗の衛生管理などの失敗
助屋

どこよりも早く”現地化”した『助屋』(2011年7月31日撮影)

 続いて『助屋』であるが、メインは豚骨ラーメンとカレーライスで、店内には創業者の思いが日本語と中国語で掲げられていた。同店は、どこよりも早く悪い意味で”現地化”した。カレーは比較的安定していたが、ラーメンのスープが今ひとつになってしまったのだ。というのも、スープの味が毎回のように違うのだ。セントラルキッチンの濃縮スープではないのだろうか? そもそも筆者自身は日本の助屋で食べたことがないのだが、食べたことがある人によれば日本の味と微妙に違っていたらしい。また、店内環境やトレイが残念なほど劣悪な状態になる店舗も出て、ブランド力以前に日系企業の「安心・安全」を期待する中国人も敬遠したのが客足が遠のいた要因だと思われる。店舗数こそ10店舗近くまで増やすも、次第に屋台のような店まで登場するなど統一感を失っていったのも残念なところだ。中国人にとって「日本ブランド」は清潔で安全で安心で高品質というのが求められる要素。現地店舗の管理体制が良くなかったのか、それを外れてしまうのはまずかっただろう。まだ規模を縮小して営業は続けており、マヨネーズが載った照り焼き丼などは中国の若者にもウケているようなので、そちらはしっかりと日本ブランドを守るべく衛生面などの管理体制を確立すれ生き残れるかもしれない。 3:反日デモなどのチャイナ・リスク  また、ラーメン店に限らず日本料理店や日本車ディーラーが、一時期「尖閣は中国領土」を張り出し、反日デモなどで被害を避けようとしていたことは有名だが、このように反日の機運が盛り上がった時に客足が遠のいたりして業績が回復できないなど、チャイナリスクも撤退の要因になり得る。ラーメン大統領も閉店時にはこうした貼り紙を掲げていた。
味千らーめん

いち早くブランド化に成功した『味千らーめん』

 こうして失敗するチェーンがある中で、中国に進出して成功するラーメン店もある。有名なのは『味千らーめん』だろう。熊本発祥の同店は、香港を経由して上海へと日系ラーメンとしては中国初上陸を果たし、どこよりも早くブランド化に成功した。そして、大連を一号店にしたチェーンでも成功を収めた店がある。  広島県福山市に本社がある『博多ラーメン味の蔵』だ。同店は、2005年11月にオープンして以来、大連で5店舗に拡大し、現在は厦門や南京、上海、徐州、武漢と店舗を広げている。ここは、「日本ブランド」を求める中国人のメンタリティに応じることを模索した。コストと手間がかかっても各店舗で本物の豚骨スープにこだわったのだ。こうして現地で足場作りを果たしてから徐々に拡大していったことが成功した秘訣なのであろう。  あくまで素人の消費者目線であるが、面子にこだわり店舗を大型化せずに、30坪程度の中規模店舗でしっかりと「日本ブランド」としてのイメージを定着させることが勝敗の鍵となっているように思えた。 <取材・文・撮影/我妻伊都>