漫画家・国友やすゆき「編集者に『だから大卒の漫画家は使えねえんだ』と吐き捨てられたこともある」【あのサラリーマン漫画をもう一度】
忘れられないあの漫画。そこに描かれたサラリーマン像は、我々に何を残してくれたのか。「働き方改革」が問われる今だからこそ、過去のコンテンツに描かれたサラリーマン像をもう一度見つめなおして、何かを学び取りたい。現役サラリーマンにして、週刊SPA!でサラリーマン漫画時評を連載中のライター・真実一郎氏が、「サラリーマン漫画」作者に当時の連載秘話を聞く連載企画。
第4回目に取り上げるのは、サラリーマンを主人公にした漫画と言えばこの人、国友やすゆき先生。自由奔放な出版社社員を描いたバブルの金字塔『ジャンクボーイ』、バブル崩壊後のサラリーマンのサバイバル状況を予見した『100億の男』、そして中年男の煩悩が哀しく炸裂する『幸せの時間』。時代ごとに異なるサラリーマンの欲望を描いてきた大ベテランは、実は働き方改革の実践者でもあった。
前回に引き続きロングインタビューの第3弾をお届けする!
“サラリーマン漫画を描く人”というポジション
――漫画に限らず、クリエイティブな世界に生きる多くの人は、なかなかうまく時代とともに変われないと思うんです。特にヒットした人ほど作風を変えられなくて苦しむことが多いはずなんですけど、国友先生は柔軟ですよね。
国友:NHKのドキュメンタリーで、セブン―イレブンの会長だかが言っていた「過去に成功体験がある奴ほど変われない」という言葉が印象的で。漫画家も一緒で、ある方式が上手くいったから、その後もそのままいこうとしちゃう。柔軟になれない。変わっちゃいけない部分と変わらなきゃいけない部分を見極められないんだよね。天才的な人は変わらなくてもいいんですけどね。高橋留美子先生とか、全く変わらないでいいんだけど(笑)。そういうレベルじゃない人は考えながら自分を変えないと、もたないよね。
――やはり、どう生き残るかっていうことを強く意識されますか?
国友:僕は理屈で考えるタイプなんですよ。才能がない人間が、才能のある人と戦うにはどうするか、というのが僕の前提なんです。自分は才能がないと思ってる。そうすると、考えるしかないんですよね。物語って、理屈やセオリーがあるんですよ。西欧ではそれをちゃんとメソッドとして教えるんだけど、日本ではそういう体系がないので、なんとなく直感でやろうとする。直感でやると、いいとこいって一発屋。その方法論しかないから、ヒットしても次行こうとすると困るんだよね。体系的な理論を抽出できないから。使う側は次見つけりゃいいだろうけど、こっちは生活があるので、細々でもいいから長く続けたいわけなんだよね。
――なるほど、ハリウッドスタイルですね。
国友:時代の空気とセオリー、それを組み合わせてる。よく言われるんだよ、色っぽい漫画を描いてるわりには、あまりエッチじゃないんだねって(笑)。冷めてるって。本気で描いてる人のは、臭ってくるものがあるじゃないですか(笑)。僕にはそれがない。
――確かにエロいのにエロくないというか、臭ってこないなと思ってました。
国友:たとえば、いつもサラリーマンが主人公だけど、サラリーマンなんてやったことないから分からない。弘兼憲史さんは自分がもともとエリート社員で、そういうのを下地に描いてるから、ある種リアルなんだよね。でも漫画って、嘘でもいいわけだから(笑)。僕のは思いっきり嘘。知らないんだからしょうがないよね。
――弘兼先生は、描かれる働き方がリアルというよりも、リアルな情報を入れるというスタイルですよね。特に今の『島耕作』は。
国友:僕の場合は妄想というか、ある種の抽象化されたものとして考えてるんですよ。サラリーマンってどういうものだろうって。自分は知らないから、いろいろ想像して概念から入って、それを具体化して描いてるわけ。弘兼さんは経験から入ってるから、逆なんだよね。で、物語に必要なのは<リアル>ではなく<リアリティ>なんだよ。<らしさ>なんだよ。らしさって、らしけりゃいいわけですよ。大嘘ついてても「ありえるかもしれない」とか「そうだよね、面白いよね」と思わせたら勝ちなんですよね。
――『100億の男』なんて、絶対にありえないシチュエーションだったけど、グイグイ引き込まれましたからね。
国友:構成がしっかりしていてキャラが立っていれば、うまくいくんだよね。さいとう・たかを先生だって、スナイパーになったことはないと思うんですよ(笑)。それと同じで、サラリーマンをやらなくても描けるよねと思って。おかげさまで、『100億の男』からは<サラリーマンが主人公の漫画を描いてる人>っていうポジションで。そういう人、少ないんですよね。
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