「離島マラソンでサブスリーをどうしても達成したい!」タカ大丸の珍道中 続・加計呂麻島編
前回書いたように大会前々日に最終調整のダッシュが100mできなかった私は、レース前日にあらためて日中に少しだけ走ることにした。
スタート地点となる港と今滞在している於斉は山で隔てられていて、ちょっと軽く走りに行こうかという距離ではない。直線距離にすれば5~6㎞だと思うが、前日は足を休めるのが大鉄則である。なので会場偵察はしないことにした。
部屋に戻ってからは、ひたすら横になって読書に励みつつ、少しずつ炭水化物を補給していく。具体的には、奄美のスーパーで発売していた「じょうひ餅」である。国産もち米と水あめ、黒糖を練り上げたいかにも奄美な餅である。色も黒糖と同じ茶色をしていて、甘味が強い餅である。食事の合間に何個か食べたがレース用に二個残して走っている最中に食べることにした。
もう一つ奄美で忘れてははならない飲み物がある。「みき」といって、奄美のスーパーに行けばどこでも売っている。本土の感覚からすればてっきり「みき」といえば「神酒」かと思ってしまうが、アルコールは入っていない。
原材料は白米、砂糖、サツマイモで、味は米をといだ汁に甘味を加えたような感じの発酵飲料である。といっても「ヤクルト」のような甘酸っぱさはない。正直、毎日飲みたいかと聞かれれば疑問符をつけざるをえないが、1㏄あたり1億個の乳酸菌が入っているらしく、奄美大島の平均寿命を延ばすうえで一役買っているという説もある。
そういえば、私が幼いころに泉重千代というじいさんがいた。120歳まで生きてギネスブックにも掲載された人物である。どこまで本当か知らないが、下世話なワイドショーのレポーターに「好みの女性は」と聞かれて「年上の女だ」と答えたという伝説をお持ちの御仁である。もちろん、翁より年上の女などいるはずもない。
本当に120歳だったのかどうかは後年疑問を呈されるようになったが、三ケタの年齢まで長生きしたことは間違いない。そんな泉重千代翁が生涯を過ごしたのは奄美大島からごく近い徳之島であった。翁も折にふれみきを飲んでいたから長生きできたのだろうか。
ところで前回に登場した「ピッ子さん」だが、関東からわざわざ加計呂麻に引っ越してきただけあって、変わり者である。さすがに家の中に電気と水道は通っているが、これだけは譲れないというこだわりが一つあり、諸々の理由で家には絶対ガスを引きたくないのだという。もっとも、この離島で都市ガスなどあるはずもないが、それでもプロパンガスというものも存在する。
前回触れた通り、普段は水を日光で温めて湯浴みしているらしいが、さすがに到着以来一度も風呂に入っておらず翌日にレースを控える私に憐れんで、特別に五右衛門風呂を焚いてくれることになった。
五右衛門風呂など、たぶん35年ぶりくらいである。もうとっくの昔に亡くなった祖父母宅で入ったことがあるくらいである。あの山奥の家でさえ、一応本州だったのでいつの間にかトイレも洋式水洗便所となり、風呂も電化された。
もう日は暮れていたから、七時過ぎだっただろうか。ピッ子さんから「お風呂沸いたよ」と声がかかった。
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