他人の努力や成果を平然とかすめとる人にはどう対応すべきか?――【仕事に効く時代小説】『おたふく』(山本一力)
2014.12.05
おれたちグミ部」。企画の横取りだと批判を浴び、某ニュースサイトの記事はそっと削除されていた。
たいていの場合、かすめとる側は悪びれないし、反省もない。批判を浴びても首をすくめてやりすごし、ほとぼりが冷めれば次の標的を探し始めるだろう。泣き寝入りも業腹だが、ものごとの道理を説くのは膨大な時間と労力がかかる。
不景気にあえぐ江戸を舞台に、弁当屋の活躍を描いた時代小説「おたふく」(山本一力/文春文庫)にも、狡猾な商売がたきが登場する。主人公・裕次郎が考えた商売のアイディアを勝手に真似した挙げ句、自分の案だと言いふらす。こんな厄介な輩に絡まれたら、どうするのが正解なのか。
「べとべとに甘い了見の連中と、まともに張り合う気なんぞ、おれには毛頭ねえ」
主人公の義父で、小料理屋の店主でもある駿喜(としき)は、きっぱり宣言する。模倣者たちは「金儲けの手立て」としか考えていない。その時点で立っている土俵が違うし、張り合う意味もないという。
“了見違い”に出くわすと、つい異議を唱えたくなる。それが自分の仕事に関わるとなれば、なおさらだろう。しかし、憤りの感情に突き動かされて、やるべき仕事を怠っては本末転倒なのだ。よこしまな相手に善悪を説いても徒労感が増すばかり。「カネさえ儲かればいい」という信念をひっくり返すのは容易ではない。もっとも、駿喜は金儲けを否定しているわけではない。
「儲からねえことは、やってはならねえ。そんな商いは、客に迷惑をかけるだけだ」
ただし、しっかり儲けを出すことと目先の利益を追うのは異なる。たとえば、主人公たちが梅干しを仕入れている「原乃屋」では、梅園の見物客から木戸銭はとらない。ただで見物させるうえ、梅湯を振る舞うこともある。じつは「気分よく梅見物を楽しんでもらったほうが、帰り際の梅干しがはるかによく売れる」という。わずかな見物料欲しさに、せっかくのお客を逃しては元も子もないというわけだ。
ものを買ってもらうには、商うものがお客に好かれることが大事である。好かれるためには、もらうより先に差し出す姿勢が大切だし、常に満足のいくものを提供する必要もある。こうやって指折り数えてみると、くだらない雑音の相手をしているヒマがまるでないことがわかる。本作は本当の意味での「そろばん勘定」を教えてくれる一冊だ。
<文・島影真奈美>
他人の努力や成果を平然とかすめとる人がいる。
つい最近も、 @niftyが運営する「デイリーポータルZ」がTwitterのハッシュタグでグミに関する投稿を募集したところ、まったく違うニュースサイトの記事にまとめられるというできごとがあった。元記事は「
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