著書では数多くの事例をもって江戸時代を評価しているが、中でも「参勤交代制度」が経済的・文化的に大きな影響を及ぼしたと評価している。参勤交代でやってくる地方の武士や多くの家臣をターゲットに、商人や料理人などさまざまな職業の人たちがビジネスチャンスを求め江戸に集まってきた結果、経済が回り、インフレやデフレ等の現象が起こっていたことにも注目している。また江戸と大阪など、地域による貨幣価値が異なったために作られた「両替所」の存在やこれが金融機関の発展を導いたことを明らかにしている。
当時の朝鮮王朝では、王のもと中央集権体制が敷かれており、地方ごとに貨幣を造ることはあっても、積極的な流通はされなかった。王のもとで絶対的な管理を強いられていた朝鮮王朝に比べると、江戸幕府では大名たちがある程度の自由を与えられていたものと見てとれる。
また著書では、江戸幕府では経済や消費活動の活性化によって米の生産性を向上させ、互いに競い合い、米の品質向上の土台を作り上げたと評価している。シン氏は米をはじめとする製造業の発展が産業革命を起こし、世界的に国家地位も引き上げたのだと指摘する。
江戸幕府が行った「天下普請」も、経済を大きく発展させた起爆剤だったとしている。「天下普請」とは、幕府が大名に命じて行った、城郭や都市の建築作業や、治水などの土木、建築工事。当時は第1次、2次、3次と70年間に渡って行われたと言われている。その資金は1次普請こそ徳川が提供したが、以後は大名の経済力に委ね、徳川家のコストを最小限に抑える一方、諸大名には多大な負担を課していた。
当然ながら、大名によって器量の差が出る。必要な資金、資材、人員の一切を大名に任せることによって、競争が生まれ、それぞれに切磋琢磨した結果、地形の不利を逆手に取ったり、地形を利用した都市開発が各地で進められたりしながら、江戸の都市インフラは造営された。
ここが、韓国の読者の間で注目されているところだ。
韓国では、江戸時代には刀を持った侍に、農民が支配されていたと認識している。しかし実際のところ大名たちは、自己の財産で経済や文化を盛り上げ、農民は農業に精を出すことにより、各地で経済的な相乗効果を発揮していた。
事実、身分制度によって支配されていた朝鮮王朝で、当時このような経済的・文化的発展は見られない。シン氏は著書において「19世紀の欧米諸国から不利な外交関係を強いられていた日本が、その不当さに対してただ紛糾するだけでなく、欧州スタイルを研究し、結果的に自国にとって不利であった外交部分のほとんどを改善させた」と話している。
これほどまでに日本史を称賛する書籍が、韓国国内で好意的に受け取られているのは、著者の経歴もさることながら、そこに書かれていることに説得力と真実味が込められているからであろう。
日本と韓国。近隣国でありながら、逆に近隣国であるからこそ、歴史観の相違により様々な時代の様々な事柄が「衝突」の原因となっている。
認めることは認め、学ぶべきことは学び、正すべきは正しながら、お互いに歩み寄ることが大事である。
<文・安達 夕
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