稲田朋美が辞任すべきでない、これだけの理由

稲田朋美は防衛大臣を辞めるべきではない

 いま、我々の目の前には、「誰かが嘘をついている」がために、なにが本当なのか皆目見当がつかないとう「藪の中」のような光景が広がっている。  PKO活動の日報が安全保障政策上極めて重要な一次資料であることは論をまたない。しかも今回、南スーダンに派遣されたPKO部隊は、戦闘行為があったのではないかとされる現場付近に展開していた。その部隊が作成する日報はあだやおろそかにできるものではなかろう。  その日報がどう処理されたのかが「藪の中」であっていいはずがない。さらにはこの「藪の中」のような光景を産んでしまったのが、防衛大臣と防衛省職員(制服組であれ背広組であれの)との証言の食い違いであるのならば、ガバナンスとしても大問題ではないか。  当然のことながら防衛省のガバナンスの問題は、ひとえに防衛大臣の責任だ。「防衛省がここまでグチャグチャになった」責任は、稲田が一身に負わねばなるまい。その責任だけでも稲田は辞任に相当するであろう。彼女が防衛大臣でありつづけるならば、「まともな能力をもった文民がまともな管理を行う」というシビリアンコントロールの要諦は、夏場の氷のように溶解してしまうだろう。  しかし「藪の中」のような光景を産んでしまった責任は、稲田だけの問題ではない。「証言の食い違い」を産んでいる「嘘」の証言は、陸自や統幕が行っている可能性さえある。むしろ前出の報道のように「政府関係者」証言がいまになって次々と出てくる様子や、ここにきて陸自側から稲田批判ともとれる証言が各紙に伝わるようになった様子をみると、陸自や統幕が大臣の地位を脅かすためにあえて内部情報を流出させている可能性が極めて濃厚だ。もしそうであるならば、それは極めて重大なシビリアンコントロールの危機であろう。  つまり、我々有権者は、「藪の中」のような光景を目にして、「稲田朋美のような人物が大臣を続けることはシビリアンコントロールの危機」であるという現実と「自衛隊側からの稲田降ろしの動きを容認することはシビリアンコントロールの危機」であるという現実を、二つながら同時に突きつけられているのだ。稲田憎しで稲田を降ろしても、自衛隊憎しで自衛隊をしばりつけても、「藪の中」からでてくるのは、「シビリアンコントロールの危機」といいう蛇しかない。  こうなるともう、藪を焼き払い、全ての真実を明らかにするほかない。そしてその術は、あらゆる関係書面とあらゆる関係者を国権の最高機関たる国会にあつめるしかもはやあるまい。  簡単なことだ。稲田も、統幕長も陸自関係者も全員、国会に証人喚問すればよい。  政府与党は、「首相を侮辱した」などという馬鹿げた理由で、森友事件の当事者の一人である森友学園前理事長・籠池泰典氏を国会に証人喚問した。しかもあの証人喚問は、「衆参両院が同一人物を同日に証人喚問する」という前代未聞の形式で行われた。証人喚問という伝家の宝刀の価値をここまで下げたのは他ならぬ安倍政権だ。  そこまで証人喚問のハードルがさがっているならば、PKO活動という我が国国策上の大問題について証人喚問を実施するのは極めて簡単だろう。  そして証人喚問でだれが嘘をついているのか白黒はっきりつければよいのだ。  稲田が辞めるのはその後でなければならない。  証人喚問で白黒はっきりつけて、彼女がこれまで国会答弁で嘘を重ねてきたとなれば、国会が問責決議で彼女の首を撥ねればよい。陸自や統幕が嘘をついているとなれば、国会が彼女を促し彼女に粛軍させればよい。  それが、史上最悪の防衛大臣とまで呼ばれる稲田朋美の身の処し方であろうし、なによりも、シビリアンコントロールのあるべき姿であろう。 <取材・文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)> ※菅野完氏の連載、「草の根保守の蠢動」が待望の書籍化。連載時原稿に加筆し、『日本会議の研究』として扶桑社新書より発売中。同作が第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれた。また、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている
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