ニューヨーク在住のゲイ日本人弁護士「“カミングアウト”は本来、自分自身に対してするもの」

母親は、いつか来る日を面白く待ち構えていた

――実際、芝さんご自身と親御さんとはどうだったんでしょうか。 「高校生のある日、初めてできた彼氏を家に連れて来た時に、母親に手招きされて。いよいよか、と思っていたところ、母親は『男役なの?女役なの?』って。それに『ご想像にお任せします』という形で返してカミングアウトが終了したんです。彼女は私が小さい頃から薄々気付いていたんだと思います。いつかやってくるであろう“その瞬間”を面白く迎えてやりたいと準備していたんでしょうね。」 ――やはりカミングアウトという作業はない方が理想の形なんでしょうね。 「カミングアウト」は、本来自分自身にすることなんです。小中学生までは、自分に起きていることがよく分かっていない。これが一過性のものなのか、いつか女の人を好きになる時がくるのか。大人になるにつれ、その答えを自分自身に認めることが、一番のカミングアウトになるんじゃないですかね。」  筆者は女性として時折、日本の過剰な「女性保護」に違和感を覚えることがある。「女性専用車両」や「レディースデイ」、「生理休暇」などは、本来女性の社会進出を促すためのものだったはずだが、女性だけにこのような特権が与えられている現状を良しとすることで、むしろ自らを弱い立場として確立してしまっていないだろうか。  これに対し、芝さんは、このように話す。 「元々男の人が女の人を尊敬するという文化が日本にあったら、もうちょっと気持ちよく入れられたんだと思うんですけどね。それが無いのに、突然取ってつけたように『女性専用車両』となれば、どんな導入の仕方を取ってもしっくりこないものです。一方、ニューヨークでは、性別に対する偏見が日本よりないため、いい意味でも悪い意味でも、性別そのもので自分を特別な存在にできない。何か特別になりたかったら性別以上に何かスキルや人間性を磨かないといけない街ですよね」
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性別のない第三の呼称、「Ze」「Mx」
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