作家・タカ大丸、離島マラソンでサブスリーを目指す 続・加計呂麻島

タカ大丸の離島・孤島で一年でサブスリー! 第3回

 やっと奄美大島の南端にたどり着いた前回。5:30にやっと加計呂麻行きのフェリーが出港の運びとなった。  フェリーの中を見て回ると、「奄美相撲大会」のチラシが何枚か貼ってある。  そういえば、道中にも極真空手の道場がいくつかあった。奄美は格闘技が盛んな土地柄らしい。なお、吉田沙保里選手を「霊長類最強」に仕立て上げた栄和人監督は奄美出身で、言うまでもなく地元の大英雄である。その他には歌手の元ちとせ、中孝介などがいる。  30分弱で加計呂麻の瀬相港に着くが、そのころには完全に日も暮れていた。眼前には例によって「徳洲会病院」が鎮座して煌煌と照らし出されている。港には「となりのトトロ」に出てくるネコバスをそのまま赤塗りにしたようなバスが何台か待ち構え、島の各方面に分散していくようだ。その中で私は「於斉(おさい)」行きのバスに乗り込んだ。  その際の運転手と私の会話である。 運転手「今日はどこに行くんかね?」 私「ピッ子さんの家ですけど。バス停に迎えに来てくれるらしいのですが」 運転手「ああ、ピッ子ちゃんね。あの子、のんびりしているからまだ来てねえと思うよ」  このような小島においては人間関係が濃厚となり、大都会には当たり前にある「プライバシー」というものが皆無である。悪いことなどしたくてもできない。希薄な人間関係に落胆した都会人が移り住む気持ちはわからないでもない。  私はAirbnbで宿を見つけたが、主のピッ子さんは関東出身で30代後半の女性、かつてはヨットで世界一周に出たという。  現在の住まいは築60年以上の一軒家で、元々空き家だったことから家賃はないという。ちなみにトイレは懐かしの汲み取り式で、ガスは引いていない。風呂はどうしているのか聞くと、暖かい日にたらいに水を溜めて、日光で温めてから体を洗うという。加計呂麻は、11月半ばでも日中は20度後半まで気温が上昇する。  全くの余談だが、リチャード・ニクソンもそうだった。もう十年近く前だが、私がロサンゼルス郊外のヨルバ・リンダにある同氏の生家を訪れると、記念博物館となっており、家具がそのまま残されていた。アップライトのピアノがあったので、赤貧の生活ではなかったはずだが、ふと気付くと家の中にシャワーやバスタブがない。そこで案内人に聞いたのだ。 「あれ、ニクソン家の皆さんは、どうやってシャワーを浴びていたのですか?」 「大統領ご一家は、シャワーは浴びておられませんでした。いつも、バスタブに水をはって日光で温めてから体を洗っておられました」
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奄美の姓が一文字である理由
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