作家・タカ大丸、離島マラソンでサブスリーを目指す 続・加計呂麻島

奄美の姓が一文字である理由

 ピッ子さん宅は海岸の目の前にあり、家を出て一分のところに「寅さん」シリーズの最終編「寅次郎 紅の花」に出てきたガジュマルの木が立っている。海岸からは一晩中潮騒が心地よく聞こえ、熟睡することができる。ここで二・三日過ごせば、どんな睡眠不足の都会人も眠ることができるに違いない。  到着したころにはもう七時を過ぎていたかと思うが、私は最終調整の一環で家の前の道路で100mダッシュを3~5本しようとした。すると、鋭い声で「やめて、絶対ダメ!」とストップがかかった。 「なんで?」 「道路に出ても街灯がないから暗いし、いつ、どこからハブが出てくるかわからないから」  日本人は平和ボケしている、というのはここ50年以上の決まり文句となっている。その点私は少年時代に実家でいろいろとあり、イスラエル在住中に9・11が勃発してその後自爆テロに対してイスラエルがパレスチナ侵攻して戦争が始まり、ロンドン滞在中に自爆テロに遭遇した。  だが間違いなく「都会ボケ」つまり自然の恐ろしさにあまりに無頓着であった。屋外に出られない私は、買ってきた奄美の地元新聞二紙を読み比べることにした。  南海日日新聞を開くと、書評欄で松永多佳倫著「沖縄を変えた男」が紹介されている。同書は沖縄水産高校を甲子園準優勝に導いた英雄・栽弘義監督について描いた一冊である。  ここで何かお気づきの方はおられるだろうか。上記の四人には一つ共通点がある。それは、「いずれも名字が一文字である」ということだ。これは、奄美群島の特徴である。 ――薩摩藩は、経済的には奄美から莫大な利潤を得てそれを明治維新の原動力にしていった。だが、奄美が薩摩へ「同化」することを許さず、貨幣を禁止、往来も禁止、衣服など身なりは琉球風のものを強制し、姓を許された島の支配層も一字姓に限定した。(神谷裕司著「奄美、もっと知りたい」より)  戦後1953年まで奄美は米国統治下に置かれたわけだが、日本に復帰したからといって急に食えるようになるはずがない。多くの奄美出身者がまだ米国統治下の沖縄へ出稼ぎに行った。そして差別に直面した。 ――「在沖奄美人は外人登録証の常時携帯を義務づけられ、登録証には犯罪者でも監視するように、指紋の押捺をしなければならなかった。  これを皮切りに、USCARは奄美人の基本的人権を剥奪する指令を次々と出した。」(佐野眞一著「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」より)  奄美の新聞で栽監督の本について書評が載るのは、こういう背景があるからである。(続) <文・タカ大丸> 【タカ大丸】  ジャーナリスト、TVリポーター、英語同時通訳・スペイン語通訳者。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。’10年10月のチリ鉱山落盤事故作業員救出の際にはスペイン語通訳として民放各局から依頼が殺到。2015年3月発売の『ジョコビッチの生まれ変わる食事』(三五館)は12万部を突破、26刷となる。最新の訳書に「ナダル・ノート すべては訓練次第」(東邦出版)。 雑誌「月刊VOICE」「プレジデント」などで執筆するほか、テレビ朝日「たけしのTVタックル」「たけしの超常現象Xファイル」TBS「水曜日のダウンタウン」などテレビ出演も多数。公式サイト
 ジャーナリスト、TVリポーター、英語同時通訳・スペイン語通訳者。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。’10年10月のチリ鉱山落盤事故作業員救出の際にはスペイン語通訳として民放各局から依頼が殺到。2015年3月発売の『ジョコビッチの生まれ変わる食事』は15万部を突破し、現在新装版が発売。最新の訳書に「ナダル・ノート すべては訓練次第」(東邦出版)。10月に初の単著『貧困脱出マニュアル』(飛鳥新社)を上梓。 雑誌「月刊VOICE」「プレジデント」などで執筆するほか、テレビ朝日「たけしのTVタックル」「たけしの超常現象Xファイル」TBS「水曜日のダウンタウン」などテレビ出演も多数。
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