錦織圭のパートナーでもあった三橋淳は、どのようにして道を踏み外したのか

初戦に敗れれば100ドルしかもらえない厳しい世界

 競技の第一線から何故退いたのか。  報道によれば、高校生の頃にプロに転向した同選手は身長165センチと小柄だが、持ち前のパワーとアグレッシヴなプレースタイルで将来有望であったという。そんな彼が、なぜ道を踏み外してしまったのか。  すべては本人のみぞ知るところではあるが、能力、体力、精神力のいずれかに(またはすべてに)限界を感じたであろうことは想像に難くない。  とは言うものの、その可能性がまるっきりないとも言い切れない。一部報道によると、テニスの国際ツアーは八百長の温床になりやすく見抜くのも困難だと言う。2016年1月には、世界最高レベルのグランドスラム大会の優勝者の中にも関わった者がいるとの疑惑が持ち上がり、大騒動になったのは記憶に新しい。  プロ選手のキャリアで大事なのは「世界ランキング」である。  このポイントが取れる大会だけで、一年間に約900大会が開かれ、試合の数は数万にも及ぶ。全ては一発勝負のトーナメント。  今回問題となった最も下部に位置するフューチャーズトーナメントでは、初戦に敗れると賞金は100ドルにしかならない。一泊の宿泊費にも苦労することになる。そこに2000ドルで八百長を持ちかけられれば「話に乗る」という選手がいても不思議ではない。海外ではテニスの試合も賭けの対象として認められており、少なくない金額が動く。そうなれば八百長や賭博の温床にもなりやすい。  テニスという競技の特性も問題をはらむ。いくら強い選手でもコンディションが悪くミスが続けば、あっさり負けることも珍しくない。それが不正かどうかを見抜くのは相当困難である。  三橋選手はジュニア時代から注目されていた。  2005年ジュニア・デビスカップに錦織圭らと共に日本代表として出場したあと、高校を中退しプロに転向。2008年には国内のフューチャーズシングルで2大会優勝、2大会準優勝の好成績を収める。  翌年の7月からはドイツに拠点を置き、ヨーロッパのフューチャーズ大会を転戦。ダブルスでは4戦連続優勝、シングルスでも2週連続準優勝を果たすなど好成績を残し、世界ランキングを上昇させ、年初のランキング747位を282位まで上昇させた。  報道によるとこの後、一度試合から退き2014年に復活。しかし12月のトルコ大会を最後に、選手としての活動を止めた。
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将来を嘱望されつつも、寄る誘惑を断ち切れず
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