Gパンパンダのツッコミ担当、一平さん
――少年たちの夢は儚く散ったというわけですね。ちなみにそこではどんなネタを?
一平:「ピサの斜塔を支える人」っていうコントでした。今はポップなコントネタや漫才をやっていますが、今思い返すと、当時はシュールなネタが多かったかもしれません。
星野:オーディションの順位はお客さんの投票で決まるのですが、お揃いのタンクトップを着た子供みたいな中学生が、全力でシュールなコントをしているという設定だけで、ウケていたのかもしれません。
一平:高校時代は『ハイスクールマンザイ』という、『M-1グランプリ』(テレ朝系列)の高校生版みたいな漫才の全国大会に出場したり、文化祭で単独ライブを開催していました。『ハイスクールマンザイ』では、地区予選止まりで結果は奮いませんでしたが、単独ライブは大成功。会場にした3階の音楽室から1階のエントランスまで行列ができて、先生から「どうにかして!」って言われるくらいでした。
星野:一平はこの頃、完全に調子に乗っていましたね。僕は「ネタ作ってるの、ほとんど僕なのに……」って密かに思ってましたけど(笑)。
――大学は2人とも早稲田大学商学部ということですが。
星野:僕は中学の頃からお笑い芸人になると決めていたので、大学に行かずに、すぐにでもお笑いをやりたいという気持ちが大きかったんです。ところが、両親から猛反対を受けまして。「芸人になりたいなら、医者・弁護士・公認会計士のどれかの資格を取ってからじゃないと許さない」と言われたんです。医者や弁護士は医学部やロースクールに通わなきゃいけない。そこで、誰でも受けられる公認会計士を目指すことにしました。
一平:星野は誰が見ても東大にやすやすと受かるような頭の良さだったんですけど、少しでも早く公認会計士の勉強に取り掛かるために、高校の推薦枠で入れる早稲田を選んだんです。大学が始まってもほとんど授業に出ず、会計予備校に通いつめていたよね。
星野:サボりたくて出なかったわけじゃないよ! 公認会計士って、本当にそのくらい勉強しなければ受からないんですよ。だから「チャラチャラした大学生と一緒にして欲しくない!」って思ってましたね。勉強のストレスで逆流性食道炎になって、医者から「このままだと癌になる」ってドクターストップがかかったり……。でも、なんとか大学2年生、20歳のときに合格しました。
――それはすごい! その頃、一平さんは何を?
一平:僕はお笑いサークルで、サークルの改革に取り組んでいました。ライブの観客投票の順位で演者をランク分けして、ランクが高い人ほど、出演できるライブを多くするシステムを作ったり……。
星野:けど、このシステムは部員からかなり不評でしたね。僕も一緒にお笑いサークルに入っていましたけど、シビアすぎたんです(笑)。
一平:部員の士気を高められればと思ったんですけどね。星野が公認会計士試験に受かってからは、月1でサークルのライブに出たり、お笑いライブ制作会社のライブに出たりと精力的に活動していました。