それにしても、なぜタイではこうした「献体」を望む人が少なからずいるのだろうか?それには、仏教的な教えが背景にある。彼らは仏教的な最後の功徳として自身の身体を差し出すのだ。
医学実習生の解剖実習の献体に志願すれば毎年実習が終了すると残った部分は家族の元に帰されるが、すべてを残らず標本などに使うように望む人もいる。元々タイ人は故人の墓参りをする習慣がないので、遺族も亡くなった家族の身体が返ってこないことに抵抗はないようだ。いずにれせよ、こういった献体や標本になると、アージャーン(大先生、教授といった意味)と呼ばれて尊敬される。
毎年大学医学部の解剖実習が終わるとボランティアによって寺院に搬送され、遺族に引き渡されて荼毘に付される
この法医学博物館や解剖学博物館は生々しく人間の人体を見ることができる。
近年はドイツで開発されたプラスティネーションが人体標本として知られてきている。人体の水分や脂肪を合成樹脂と置換する製造方法で、樹脂の種類を変えることで本物とそっくりの質感を残し、手に取って見ることができるのだ。一方、昔ながらのホルマリン漬け標本は手に取ることはできないが、逆に生々しくて恐怖すら覚え、人体の神秘、人命の尊さを感じることができる。
国立シリラート病院はチャオプラヤ河の西岸に立つ巨大な病院群
かつて死体博物館と呼ばれたB級スポットは整備されたといっても展示品が事細かに説明されているわけでもなく、きれいに並べ替えられただけといってもいい。それなのに高めの料金設定やロッカーに荷物を預けろだの細かなルールが決められ、かつての緩いタイがなくなってしまったことを感じた。それはこの博物館だけでなく全土的にそうなっていて、タイもいよいよ先進国に似た習慣や考え方に変わりつつある。しかし、昔からタイが好きだった外国人のひとりとして筆者がそれを見ると、正直タイがつまらなくなってしまったような、残念な気にもなる。
ただ、ひとつだけ「やっぱりタイだ!」と嬉しくなったこともあった。
この博物館を巡る場合、普通は法医学博物館がある本館から周り始める。料金は主力の法医学博物館と解剖学博物館のために払うようなものなのだが、法医学博物館を無視して解剖学博物館だけに立ち寄ると料金のことは一切いわれずに無料で入れてしまう。本館でチケットを購入する際は解剖学博物館の方も入り口でチケットを提示しないと入れないといわれるにも関わらずだ。この、しっかりしているのかいないのかよくわからないところにタイらしさを感じた。
ふと耳に「トップシークレットだ!」という声が聞こえた気がした。
<取材・文・撮影/高田胤臣(Twitter ID:
@NaturalNENEAM)>