ローマ教皇とマザー・テレサの怒りに触れたクリントン夫妻――国論を二分する中絶問題

女性の権利擁護を訴えたヒラリー

 人工中絶の問題は、ヒラリーとトランプの最終テレビ討論会においても、重要な論点となりました。長年この問題に取り組んできたヒラリーの弁舌は明瞭です。女性に中絶の権利を認めた最高裁の「ロー対ウェイド」判決を強く支持すると言明した上で、強制的な人口政策を取った2つの国の例を挙げました。1960年代のルーマニアでは、少子化対策として堕胎が禁止され、「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれる孤児たちの増加が社会問題となりました。逆に人口抑制を図る中国では、女性たちが望まない中絶を強いられてきました。これらの国の悲惨な例を踏まえ、ヒラリーは「女性の最も個人的な選択に、政府が介入する筋合いはない」と言い切ったのです。  一方のトランプは「生まれる直前の胎児を母親の腹から引きずり出すのか」と訴えて人工中絶の非人道性を印象付けようとしましたが、ヒラリーに「そんなケース(妊娠9カ月での堕胎)はありえない」とあしらわれ、知識不足を露呈しました。トランプは今年3月にも「人工中絶した女は処罰されるべき」と失言して、凄まじいバッシングを受けています。「プロライフ」主義者たちが非難の矛先を向けるのは、「人工中絶した女性」ではなく、「プロチョイス」の政治家や堕胎処置に携わる医療従事者などです。強気の暴言を繰り返しながらも人気を集めてきたトランプが、初めて発言撤回に追い込まれたきっかけは、人工中絶問題の本質を見誤ったことでした。  キリスト教の中でも、宗派によって人工中絶問題の捉え方には温度差があります。ローマ教皇を頂点に戴くカトリック教会が堕胎を強く否定するのに対し、ヒラリーが属するプロテスタント教会メソジスト派は比較的寛容です。ヒラリーは自身の宗教観について、次のように語っています。「人によって様々な信仰の形がありますが、私は最終的な審判は神にゆだねられるべきだと考えています。私にとっての敬虔な信仰とは、偏見を持たず、寛容であり、敬いの心を持つことです。」  ヒラリーにとって「選択の尊重(pro-choice)」とは、「中絶の尊重(pro-abortion)」と同義ではありません。女性たちが堕胎を選択しないで済むことが最も望ましく、人工中絶を「安全で、合法で、少なくすること」が目標だと一貫して訴えてきました。そして人工中絶のような倫理的に難しい命題の是非は、「一にも二にも当事者である女性自身が決めることであり、女性がどんな辛い選択をしようと、それは個人の権利として守られるべきである」というのがヒラリーの信念です。「人工中絶は殺人か否か」という議論を避け、個人の選択への寛容性を打ち出すことで、キリスト教徒としての面目をほどこしたのでしょう。  今日のアメリカは世界に類を見ない多文化・多宗教国家です。米国はキリスト教徒によって建国されたとはいえ、今後の為政者たちはキリスト教有権者にだけアピールしてはいられないでしょう。有色人種のオバマが人種差別の壁を破り、女性のヒラリーが性差別の壁を破ることになるとしたら、次に破られるのは非キリスト教徒に対する宗教差別の壁かもしれません。現に2016年大統領予備選では、ユダヤ教徒であるバーニー・サンダースが、熱狂的な支持を集めました。人工中絶問題をはじめ、キリスト教の教義を取り巻く議論が、今回の大統領選挙にどう影響するか。11月8日の投開票が待たれます。 <取材・文/羽田夏子 写真/Veni> ●はだ・なつこ/1984年東京生まれ。高校から米国に留学。ヒラリー・クリントンの母校であるウェルズリー大学を卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科にて国際関係学修士を取得。国連機関インターン、出版社勤務を経て、翻訳編集プロダクションを立ち上げる。日本メンサ会員。
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