戦後60年を過ぎ国内外で1500回以上の演奏会を重ねる「被爆ピアノ」

「被爆ピアノ」と呼ばれるピアノがある。  第二次世界大戦中、米国によって広島に落とされた原子爆弾(原爆)で傷つきながら、戦後60年をすぎて1人の調律師に修復されてよみがえり、国内外で1500回以上の演奏会を重ねてきた古いピアノだ。

広島原爆の被爆者から大切なピアノを託され、人生が変わる

今年も広島原爆記念日に演奏された「被爆ピアノ」

 広島に原爆が投下され8月6日(土)正午前から約5時間、被爆ピアノによる平和コンサートが広島市平和記念公園で行われた。今年16回目となる演奏会の主催者は、広島市在住のピアノ調律師の矢川光則さん(64歳)。 「平和活動なんて、生活に余裕のあるお金持ちがやるもの」  それが昔の矢川さんの考え方だった。しかし、広島原爆の女性被爆者から大切なピアノを「何かに役立ててほしい」と託され、人生が変わり始めたという。 「爆心地から半径2km圏内は焼け野原といわれる中、彼女の家は約1.8kmの場所にありました。奇跡的に残ったピアノは、原爆の爆風で割れた窓ガラスの破片のせいで、その表面は無数に傷ついていました」(矢川さん)  終戦間際は女子高生だった被爆者が、授業も受けずに兵器工場で鉄砲の弾を手作りしていたこと。人を殺す兵器を造りながら彼女が「少しも怖くなかった」と話したこと。終戦後は、米国軍の手伝いをするために、男女の区別もつかない死体をまたいで事務所に毎日通ったこと―———。  被爆者の父を持つ矢川さんも、生まれて初めて当事者から聞く戦争体験に言葉を失いながら「被爆ピアノの物語を伝えていかなければならない」という重い責任を感じたという。生々しい傷跡は残したままでピアノの音をよみがえらせ、「ピアノが自由に弾ける平和の大切さについて、みんなに考えてもらえるはずだ」と思ったのだ。
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吉川晃司や原田真二、ハンコックも演奏
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世の中への扉 海をわたる被爆ピアノ

ピアノと調律師との、奇跡的な出会い。