一番の問題となっている、「政治資金の私的流用」なるものにしても、違法性は極めて低い。
そもそも原資が政党交付金であれ、支持者からの寄付金であれ、政治資金として集めたカネを何にどう使おうが、集めた側の勝手だ。
無論、政治資金として集めたカネを、有権者個人や支持団体等に撒き投票を依頼する「買収行為」などは、公職選挙法で厳しく規制されている。しかし舛添氏の行為はそうした行為に該当しない。悪く表現したとしても、「政治資金を自分の遊興費として使った」に過ぎない。そしてこうした支弁を違法とする法は存在しない。
そもそも何をもって「政治活動」というかなど、法は定めていないのだ。また、「何が政治活動か?」など法で定めるべきではないのだ。
舛添氏には「公私混同」という批判が寄せられているが、そもそも政治活動とは、基本的人権に属する極めて私的な行為なのだ。その私的な活動を法で規定するのは、極めて危険ですらある。
事実、総務省に問い合わせたところ、「政治資金規制法は、政治資金の使途までを規定するものではない」との回答であった。当然のことだ。それでこそ、基本的人権に立脚した近代的民主主義というものだろう。
舛添氏のように政治資金を家族や自分の趣味のために支弁するのは確かに見苦しい。おそらくそうした行為は、選挙における得票数の拡大につながらぬであろう。だがそうした「非効率な政治資金の使用」の結果は、「当落」という形で、舛添氏個人が受け止めるべき代物に過ぎない。純然たる自己責任論の範疇でしかなく、他人がとやかく言う問題ではないのだ。