韓国がロシアと共同開発した「羅老号」ロケット。しかし3機しか打ち上げられなかった上に技術移転も行われず、韓国にとっては不本意な結果に終わった Photo by KARI
これまでの韓国のロケット開発は、やや破綻した、迷走した歩みを続けていた。
韓国は1985年に、「宇宙開発計画10か年計画」を策定し、国産ロケットによる国産衛星の打ち上げを目指すことになった。1990年代には小型のロケットを開発し、それを発展させることで、いずれ大型の、人工衛星を打ち上げられるほどの性能をもったロケットを開発するという手はずだった。
当初、この計画はきわめてのんびりとしたものだったが、1998年に北朝鮮が中距離弾道ミサイル「テポドン1号」の発射を行い、その技術を世界に示したことに触発され、2000年になってようやく、韓国の衛星打ち上げ用ロケットの開発も本格的に動き出すことになった。
しかし、当時韓国が開発していたロケットは性能が低く、どうやっても人工衛星を打ち上げられるだけの性能には届かなかった。そこで独自開発を半ば諦め、他国から技術を導入することを決定。いくつかの国と接触し、ロシアがそれに手を貸すことになった。そして2004年からロシアと韓国の共同開発により、「KSLV-I」ロケット(愛称「羅老号」)が開発され、2013年に人工衛星の打ち上げに成功した。
韓国はこの羅老号の開発を通じて、ロシアからロケット全体、とくに難しいロケット・エンジンの技術を学ぶことを考えていたようだが、ロシア側にそのつもりはなく、技術移転はほとんど行われなかった。羅老号に使われた技術はロシアにとっても最新鋭のもので、技術移転が行われなかったのも当然であった。結局、羅老号はたった3機の打ち上げ(そのうち成功は2013年の1機のみ)で運用終了となってしまった。