三菱重工が打ち上げるアラブ首長国連邦の火星探査機「アル・アマル」 photo by UAESA
三菱重工は3月22日、アラブ首長国連邦(UAE)が開発している火星探査機の、打ち上げ輸送サービスを受注したと発表した。三菱重工が運用している国産ロケット「H-IIA」を使い、2020年7月ごろに打ち上げ、2021年の火星到着が予定されている。
UAEは人工衛星や探査機を開発する力はあるものの、それを打ち上げるロケットをもっていないため、三菱重工にお金を払い、その対価として「宅配」してもらうことになる。三菱重工は以前にも、UAEから別の衛星打ち上げを受注しており、今回で2件目。また海外顧客からの打ち上げ受注は4件目となった。
顧客からの注文を受け、ロケットで人工衛星を宇宙に打ち上げる事業――商業打ち上げビジネス――は、宇宙産業の中でも苛烈な競争が繰り広げられている分野のひとつである。日本は長年、その中で苦戦を続けてきた。最近になり、ようやく光明が見えつつはあるが、まだ厳しい道が待ち受けている。
1957年に、ソヴィエトが初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功して以来、人工衛星の技術は飛躍的に進んだ。1960年代に入ると、静止軌道という特殊な軌道に衛星を配備することで、世界中に通信や放送を提供できるようになった。通信衛星の整備は世界各国で進み、やがて専門の機関や民間企業がその維持や運用を担うようになった。
初の国産大型ロケット「H-II」 Courtesy of JAXA
1970年代から通信衛星の需要は大きく増加し、それに合わせて衛星そのものの規模や打ち上げ数も増加した。米国や欧州では、こうした通信衛星をロケットで打ち上げるビジネスが始まり、静止衛星の商業打ち上げ市場が成立するに至った。
日本がこの市場への参入を志したのは1980年代のことだった。しかし、当時の日本にとって、静止衛星を打ち上げられるほどの大型ロケットは、米国の手を借りなければ開発できず、またロケットの性能も低かった。
1994年になり、日本は初めて、国産技術だけで大型ロケットを造ることに成功した。「H-II」と名付けられたこのロケットは、当時の他のロケットと比べてもそん色のない、高い性能をもっていた。
しかし、H-IIには非常に高価という欠点があった。また日本は欧米に比べて新参者だったため信用されず、商業打ち上げの受注は取れなかったのだ。