消えた北朝鮮人経営者【後編】――カンボジア進出での思わぬ落とし穴
北朝鮮人の辺氏が中国丹東で経営していたDTP会社が、2015年春節(旧正月)前に静かに倒産した。社長不在により決済や判断ができず、資金繰りに行き詰まったためだ。
やり手社長としてビジネスを拡大していた北朝鮮人経営者は、中国の人件費高騰を受けてカンボジアに目を付けた。
⇒【前編】https://hbol.jp/38002
辺氏は、急激なインフレが進む中国の物価や高騰する人件費に頭を悩ましたのか、ネクストチャイナとしてカンボジアに目をつけ、プノンペンに事務所を作ることを決め、2014年3月プノンペン事務所を開所させた。
当初の計画では、丹東をヘッドオフィスに据え、プノンペンは、現地採用のローカルスタッフへ作業を依頼して回す予定だった。つまり日本企業などが中国やタイで行うオフショアスタイルと同じだ。
開所時、採用したローカルスタッフへの研修のため辺氏を始め丹東から北朝鮮人、中国人スタッフ数人を引き連れて新事務所はスタートした。研修は長くて2週間ほどを想定していたが、予想以上にローカルスタッフの業務基礎力が低く、なかなか業務を任せられるレベルへ到達しないまま2週間が過ぎた。
丹東から連れてきたトレーナーたちは、そのまま残留し、研修を続けるも会社が請け負っている業務は溜まっていく一方だったため、辺氏は、トレーナーたちにプノンペンで業務をするように指示した。彼らは、丹東でバリバリ仕事をこなしている精鋭スタッフたちなので、溜まっていた業務はあっという間に減っていた。しかし、ここで思いもしない事件が発生する。
4月のある午前、突然、複数の警察官が事務所へ乗り込んできたのだ。結果、その場にいた外国人は全員逮捕された。容疑は、国際ハッカーだった。
「DTPは業務上、毎日大量のデータを送信します。多い日は何テラバイトにもなる日もあります」(同)
プノンペンから毎日のように大量データを日本や中国へ送っていたため集団ハッカー行為と見なされたのだ。むろん、冤罪であるが、認められることなく、半年後の2014年9月に全員釈放された。そのまま、国外退去となったため、プノンペン事務所は閉鎖を余儀なくされ、辺氏たちは丹東へ戻っていった。
失意のどん底で中国へ戻った辺氏は、丹東で再起を図るべく環境を整えた後、10月末に北朝鮮へ一時帰国をした。
帰国中の北朝鮮は、10月24日突如、エボラ出血熱対策を理由に外国人観光客の入国禁止処置を発表した。北朝鮮人である辺氏は、再出国して、再入国すると3週間ほど隔離される恐れがあるものの、北朝鮮を出ることはできたはずだ。しかし、11月になっても辺氏は、丹東へ戻ってこなかった。顧客との打ち合わせや業務判断ができないためスタッフが困っていると、11月上旬、フッと辺氏のSkypeがオンラインとなり、スカイプコールがかかってきた。
「心配するなもうすぐ戻る」
とても小さな声で、短いコールは終了した。これが辺氏からの最後の連絡となった。
11月以降もスタッフの努力でなんとか会社を回していたが春節前に力尽きるように倒産した。
辺氏が中国へ戻れなかった理由は定かではない。北朝鮮のプチ鎖国政策や辺氏がプノンペンで逮捕されたことが影響したのかもしれない。元スタッフによると辺氏の安否はいまだに分かっていない。
<取材・文・撮影/我妻伊都>
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