「原発ゼロの社会こそ日本の歩むべき道」小泉元首相・福島講演で怪気炎の舞台裏
原発事故から4年目の3月11日、小泉純一郎・元首相が福島県喜多方市で講演を行い、原発再稼動に突き進む政府(安倍政権)を「ウソつき」「呆れた」と批判しながら、原発ゼロの社会を目指そうと訴えた。
「自然エネルギー推進会議」発起人代表の小泉元首相はこの日、11万9000人が今でも県内外に避難している福島県を訪問。東北新幹線の郡山駅に降り立ち、会津若松市を経由してクルマで現地に向かおうとした。ところが大雪で高速道路は通行止め、並行する国道もクルマが立ち往生していて、不通状態にあることが判明した。
そんな中、機転を利かせた講演会スタッフは山形県米沢市を経由して喜多方市に南下する迂回ルートを選択、予定時間前に会場に辿りつくことができた。
吹雪の中を駆けつけた小泉元首相は、約1000人の参加者を前に「たまに雪景色を見ると綺麗ですね。雪を見ますとね、私は感銘を受けた和歌を思い出すのです」と切り出した。
この短歌が詠まれたのは、敗戦から約半年後の1946年(昭和21年)正月。歌会始めが皇居で行われた際、時の昭和天皇は「降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄雄しき 人もかくなれ」という和歌を詠んだ。この和歌を小泉元首相は次のように読み解いた。
「皇居の庭には植えられている何百本もの松。常緑樹の松は雪が降り積もっても色を変えず、青々とした緑の葉を茂らせている。その松を見ながら、戦争に敗れたけれども国民は打ちひしがれることなく、松のように雄雄しく、祖国復興のために頑張ってくれている。そういう思いを込めた歌だと思います。(雪景色の中を走った)車中でこの歌を思い出して、『会津電力(株式会社)』を立ち上げた佐藤さんのことを思い出しました。地震・津波・原発事故。この大災害を何とかチャンスに変えてやろうと思って立ち上げた。『もう原発は止めて自然界に無限にある再生可能エネルギーをこれからも福島で活かしていこう。自分たちの子や孫に安全な社会を残そう』といま努力をされている」
喜多方市で老舗酒造会社の経営者だった佐藤彌右衛門さんが、福島から脱原発を目指す「会津電力株式会社」を設立したのは、原発事故から2年半後の2013年8月。新聞や雑誌などで紹介された奮闘ぶりに小泉元首相は感銘を受け、ちょうど4年目に訪れたというのだ。
「『福島の持つ力で原発を止めさせて、自然に無限にあるエネルギーを使おう。福島の電力だけではなく、各地に電力を送る。このピンチに負けない姿を見せてやる』という佐藤さんの意気込みを伺いまして、今日は視察を兼ねて激励にやって参りました。『少年よ、大志を抱け』という言葉があるでしょう。私は年寄りになったけれども大志を抱いていいのです。佐藤さんは『原発に依存しなくていい。俺たちは自然エネルギーで福島の電力を全部まかなって発展してみせる』と電力会社を立ち上げた。大きな志です。原発ゼロの社会は政治が決めれば、必ずできる。夢のある事業だけれども必ずやればできる。若者、男だけではなく女性も、高齢者も、この原発ゼロの実現に向けて、努力していかないといけないと思っています」(小泉元首相)
講演のタイトルは「日本の歩むべき道」。小泉元首相は原発ゼロの社会こそ“日本が目指すべきゴール”と宣言したのだ。
⇒Vol.2「政府は未だにウソを言っている」に続く https://hbol.jp/29568
<取材・文・撮影/横田一>
昭和天皇の和歌に込められた復興への思い
ご当地電力「会津電力」を激励
ジャーナリスト。8月7日に新刊『仮面 虚飾の女帝・小池百合子』(扶桑社)を刊行。他に、小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」に関する発言をまとめた『黙って寝てはいられない』(小泉純一郎/談、吉原毅/編)の編集協力、『検証・小池都政』(緑風出版)など著書多数
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