ロンドン再封鎖14週目。英国人のリアリティチェック能力による冷静なコロナ禍分析<入江敦彦の『足止め喰らい日記』嫌々乍らReturns>

絶望の淵に宿る陰謀論

晴れた日に公園の芝生でお喋り

つまるところ陰謀論にハマるのは孤立しているからではないか。GoToも宴会も必要ない。相手は友達ですらなくていい。晴れた日に公園の芝生でお喋りするのは何よりのセラピーだろう

 わたしはワクチン懐疑論者や「ただの風邪」教信者、ひいてはコロナ禍そのものを陰謀論の色眼鏡で見ている人たちをナイーブだとは思いますが決して蒙昧だと断じたくはありません。ただ、なぜ明白なファクトが目に入らないのかその理由が知りたい。翌日のフィリップ殿下に全部持っていかれて残念でしたが、4月8日のガーディアンに掲載された『the New Humanist』誌の編集者でありコラムニストのサミラ・シャックルが書いた文章は示唆に富んだ内容で一部の謎が解けました。  コロナ禍以降、本来なら受けられるはずの肉体的精神的治療の機会を失った人が英国だけで450万人もいますが、彼女のエッセイはそんな中の一人のストーリーから始まります。  24歳のアンナは子宮内膜症の手術をキャンセルされ耐え難い痛みを味わうことになりました。2年前に開業した小さなタトゥパーラーは事業を閉鎖せざるを得なくなり、子供時代のトラウマ治療のカウンセリングを受けるのが難しくなりました。彼女のパートナーは仕事を失い、何週間もの間待っていた自分の失業支援金は焼け石に水。アンナは自殺を考えたそうです。  そんなときパートナーが見つけてきたのがオンラインに横溢する陰謀論だったのです。「メディアが報じない真実がこういう場所に隠されているのだ」というアイデアにふたりはたちまち取り憑かれました。とりわけコロナウィルスは中国がHIVと病原菌を人工的に接合した生物兵器だ! という説は腑に落ちました。普通の状態なら笑い飛ばせるような陰謀論も絶望の淵の闇の中では本物の怪物に見えました。  実際、2020年の初期、このウィルスはあまりにも謎だらけで、誰もが、専門家や医療関係者までもが暗闇を右往左往するしかなかったのです。  まるでドラッグ依存症患者が苦しみから逃れるためにどんどん服用量が増えて深みにはまってゆくように彼女らはインターネットを徘徊して陰謀論信者になってゆきます。それらを読んでいると不安を忘れ、気分がよくなるからです。実際に世界にはスウェーデンみたいな意識的に対策を取らない国もありました。それでも感染しても1%しか死んでいない(当時)。  そして「1%も死ぬ」と感じるか「1%しか死なない」と感じるかは、そのときの心理状態次第なのです。  シャックルの取材は多岐に亘り、アンナたちのように〝傷ついた〟者たちの現実逃避としての陰謀論だけでなく、老若男女、貧富、人種の別なくそれらが彼らを蝕んでゆくシチュエーションが描かれています。その温床はかならずやSNS。べつに何を惟おうが勝手と言えば勝手ですけれど、コロナ病棟に侵入して入院中の親族を連れ去ろうとする人たちを育成してしまうのは困ったことですね。  まあ、アメリカの前大統領も(彼らが支持者であるという利益からだけでなく)コンスピラシーを信じていたようですから誰がそうでも驚きません。英国最大のインターネットベース市場調査およびデータ分析会社YouGovの調べによると、現実主義者の英国人の20%以上が政府発表のコロナによる死亡者数が誇張されている(2020年10月調べ)と信じていたという話の方がよほどショッキングです。  アンナは第1次ロックダウンの封鎖が終わって手術を受け健康体に戻りました。自分の店も再開。カウンセラーとの会話も取り戻して、現在は当初のような陰謀論のフォロワーではありません。けれど英国的リアリストへの復帰はまだ遠そう。政府への不信は拭い難いようです。また、どれだけワクチンの効果が明らかでも、相変わらずSNSの陰謀論アカウントは顕在している模様。ゾッとしない話。

コロナ禍の後に残る遺恨

真顔で冗談を言ってるような告知

印象的にはコロナ禍から英国が「イチヌケ」した観がある。が、問題はこれから。これまたこの国らしい真顔で冗談を言ってるような告知。マスクひとつとってもまだこの程度の認識なのだ

 わたしは、あれを思い出しました。『ノストラダムスの大予言』。1999年七の月に人類が滅亡する〝前兆〟を描いた続編が98年までに10冊も出版されているんですよね。でもって、それらはすべてオリジナルほどではないにせよ売れている。コロナ禍が完全の終息したとしても今回の陰謀論はノストラダムス以上に後年にまで遺恨を残しそうなのが恐ろしい……。  エッセイ読後、個人的な感想としては、これから陰謀論グループのメインターゲットとなるのは、いわゆる「ワクチン・パスポート」ではないかという気がしました。前日に、これまたガーディアン紙で接種完了者に交付される予定の生体認証証明書についての特集をチェックしたせいかもしれません。  混雑が予想される閉鎖空間で安全に過ごすためのアイデアですが、どうやら初期段階からかなり異なるものになりつつあるようです。ウィルスの抗体を有するに充分な検査の結果や発行直前の陰性検査を織り込んでより精密な安全証明にしたいようです。しかし興味深いのは与党が一枚岩ではないこと。なにしろ反対勢力の中心が40人からなる保守党内グループです。    彼らはワクチン接種終了後は直ちに無制限の規制撤廃を唱えていて、それはそれで剣呑な雰囲気。むろん野党内左派からも反対意見が出ていますが理由は正反対。カードがあることで国民を油断させるにはまだ段階が早いというもの。むしろ規制を継続するためにパスポートは不要としています。  労働党の主流も反対票を投じていますが、彼らの意見の中核はこのアイデアそのものが「英国の本能」にそぐわないからだといいます。ワクチンと違って効能がはっきりしないうちは国民が躊躇するだろうと考えているのです。大型商業施設に行くたびに電話やアプリでいちいち予防接種証明書を作成する必要がある社会は確かに現実的(リアル)ではありません。 ◆入江敦彦の『足止め喰らい日記』嫌々乍らReturns【再封鎖14週目】4/8-15 <文・写真/入江敦彦>
入江敦彦(いりえあつひこ)●1961年京都市上京区の西陣に生まれる。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。エッセイスト。『イケズの構造』『怖いこわい京都』(ともに新潮文庫)、『英国のOFF』(新潮社)、『テ・鉄輪』(光文社文庫)、「京都人だけが」シリーズ、など京都、英国に関する著作が多数ある。近年は『ベストセラーなんかこわくない』『読む京都』(ともに本の雑誌社)など書評集も執筆。その他に『京都喰らい』(140B)、『京都でお買いもん』(新潮社)など。2020年9月『英国ロックダウン100日日記』(本の雑誌社)を上梓。
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