主権者のいない国・日本。日本を覆う「家族国家論」と社会の消滅<京都精華大学専任講師 白井聡>

主権者のいない国

まちゃー / PIXTA(ピクスタ)

戦前も戦後も日本人に主権者意識はあったか?

―― 世論調査を見ると、国民の間では安倍前政権や菅政権の新型コロナウイルス対策への不満がたまっています。しかし、国民が主権を行使し、デモを行ったり、選挙に積極的に参加するといった様子は見られません。白井さんは新著『主権者のいない国』(講談社)を出版しましたが、タイトルの通り、日本には主権者がいないと言わざるを得ません。
白井聡 主権者のいない国

白井聡著『 主権者のいない国』(講談社)

白井聡氏(以下、白井) 主権とは決して難しい概念ではなく、その原点は自分のことは自分で決めるというシンプルな話です。私たちがどのような暮らしを送り、どういう風に生きていくのか、それを決めるのは私たち自身であって、他の誰かに命じられるようなことでありません。ここで重要なのは自由への欲求です。現実には様々な制約がありますが、自分が自由に決められる範囲をできる限り増やしていきたいという望みが国民主権の基礎になります。  そこで、制限のない選挙が国民主権を実現するためのスタンダードな手段だと普通考えられています。現在のような投票率の低下は、自発的な主権放棄を意味しており、真に危機的であると言えますが、歴史を振り返って考えてみると、日本人は戦前も戦後も主権者意識を持って選挙を受け止めてきたことがあっただろうか。柳田国男が嘆いたように、戦前の時代には買収合戦が横行し、有権者がそれを求めていたのです。河井夫妻の事件でわかるように、いまでも状況は同じようものです。こんなことが通用するのも、有権者たちがどの政党や候補者が自分の利益を代表しているのかをきちんと判断しようとしないからです。もしも、有権者全員が自立した考えと判断力を持っていたら、買収は成立しません。  それでも第二次大戦直後は、占領軍の旗振りではあったとはいえ、主権者意識の高揚があった。しかし、結局のところ、大戦の記憶が遠ざかるのと比例して、この意識は低下してきているのでしょう。だから、政権や政治家に対する支持・不支持は純粋に気分の問題でしかなくなってきています。  最近の事象を挙げれば、安倍政権はコロナ対策の失敗によって支持率を落とし、ついには退陣に追い込まれました。しかし、安倍が何やらしおらし気な表情を浮かべて辞意表明をすると、それまで「もう引っ込め、この馬鹿野郎」という雰囲気だったのが、一気に「難病に耐えながら長い間激務を勤めてくれてありがとう」へと変わり、退陣直前に支持率が急上昇しました。  菅政権は安倍政権の高支持率を引き継ぐことに成功し、発足当初は70%の支持率を誇りましたが、コロナ対策をはじめ数え切れないほどの失策が明らかになると、支持率が急降下しました。その結果、いまでは「ポスト菅」が議論されるようになっています。  しかし、コロナ以前は安倍政権を支持していたのに、その後、安倍不支持に転じた人たちは、何を根拠に不支持になったのでしょうか。また、安倍不支持だったはずなのに、安倍の辞意表明を受けて支持に転じた人は、何を根拠に安倍支持になったのか。菅政権を当初は支持していたのに、いまは不支持に転じている人は、何を根拠に菅不支持になったのか。  要するに、その時々の出来事に気分で反応しているだけです。そうでなければ、これほど支持率が乱高下するはずがありません。そこには自己の運命を自分の力で決めるという決意や努力は見られません。これでは単なる「群衆」であって、とても主権者とは呼べません。こんな国に形だけ民主制を導入すれば、社会が混乱するのは当然なのです。

「家族国家論」に支配された日本

―― なぜ日本人は主権を行使しないのでしょうか。 白井 それは日本社会のあり方の根本と関係していると思います。社会は多くの構成員から成り立っており、構成員の間には利害や価値観の対立が存在します。そのため、自分のことを自分で決めようと思うと、様々な障害と衝突し、葛藤することになります。その経験の中で人は成熟した主体へと成長し、主権者としての自覚を確立していくのです。  しかし、日本ではこうした前提が成り立ちません。国家や社会が家族のアナロジーでとらえられており、そこでは家族は自ずから調和するものとされ、同じように社会も自然と和するものだとされているからです。これでは社会の中の葛藤は生まれず、主権者意識も確立しません。もちろん実際には家族の間でも社会の間でも対立や衝突はあるのですが、あたかも存在しないかのように扱われるのです。  こうした独特の国家観、社会観は「家族国家論」と呼ばれるものであり、戦前から今日まで続く日本の「国体」です。私は『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)でこの問題を提示し、『主権者のいない国』でさらに掘り下げました。  戦前の日本で家族国家論が最も不気味なかたちであらわれていたのが、治安維持法です。治安維持法は「私有財産制度の否定」と「国体の変革」を禁じており、特に後者は罪が重いとされていました。  しかし、治安維持法の運用で注目すべき点は、思想犯は転向すれば寛大な扱いを受け、社会に復帰できたことです(示唆的なことに、植民地では事情が違いました)。先ほど述べたように、家族国家論では社会の構成員たちが対立を起こすはずがないとされています。そのため、「国体の変革」を企てる者は、社会に歯向かったのではなく、不幸にも一時的に社会から逸脱してしまっただけであり、それゆえ転向して社会に復帰するなら温情をもって接するということになるわけです。  ここでは、日本社会に復帰することが家族の愛に目覚め、家族に復帰することと重ねられています。実際、家族の存在は転向を誘導する際に重要な要素となっていました。  その最も壮絶な例が、戦後は大物右翼、フィクサーと呼ばれた田中清玄です。田中は東大新人会から日本共産党中央執行委員長となり、数々の武装闘争を実行し、逮捕されました。それに対して、田中の母親は責任を感じ、割腹自殺を遂げます。母親の遺書は、次のようなものでした。「お前のような共産主義者を出して、神にあいすまない。お国のみなさんと先祖に対して、自分は責任がある。また早く死んだお前の父親に対しても責任がある。自分は死をもって諌める。お前はよき日本人になってくれ。私の死を空しくするな」。これを受けて田中は煩悶し、熟考の末、共産主義者から天皇主義者へ転向したのです。  こうした家族国家論は、日本の敗戦によっても清算されることはありませんでした。たとえば、あさま山荘事件のときも、山荘に立てこもった赤軍兵士に投降を促すため、彼らの母親が動員されました。母親たちが拡声器で泣きながら「◯◯ちゃん、出てきてー!」と絶叫する光景が記憶に残っている人もいると思います。  しかし、母親にとって子供の行為がいかに意味不明だったとしても、子供には子供の考えがあります。それを認めず、転向を促すということは、我が子を一個の主体として認めていないということです。田中清玄の母親と連合赤軍の母親を比べると落差は大きいですが、ここに社会との衝突を認めようとしない同じ思考様式があることは間違いありません。
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日本を覆う「社会の消滅」
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月刊日本2021年5月号

【特集】主権を失った日本
【特別対談】徹底討論 選択的夫婦別姓
【海外情勢分析】ミャンマー
『宗教問題』編集長 小川寛大
【東京五輪】


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