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「もう一度、東京でオリンピックを」--。そう東京五輪をぶち上げたのは、
石原慎太郎元都知事だった。1999年に東京都知事に就任して5年目。長期にわたるデフレ経済に悩む日本に何かお祭りのようなことが必要だと、2016年のオリンピック・パラリンピック大会に立候補するとぶち上げた。これは、2002年の日韓共同開催のワールドカップの成功も大きく影響しているのだろう。国中が一丸となって熱狂できること、オリンピックがそのひとつであることは間違いない。2006年3月8日の東京都議会で正式に立候補することが決定されて、本格的な招致活動が始まった。2016年大会には他に福岡市も立候補していたが、国内投票で東京が勝つことになる。
2007年に石原氏は東京マラソンを始める。大成功する。東京都が大きなスポーツイベントを実現する力があることを誇示することにもなった。東京マラソンは、今や冬の終わりの風物詩とも言える大会に育ち続いている。毎年、国内外から参加人数を大幅に超えるエントリーがあり、招待選手も交えて生中継される。これは、国民の健康増進、スポーツ振興にも大いに貢献していることは特筆すべきことである。そして、何より東京だけで終わらなかった。今やマラソン大会は日本各地で開かれるという、一大マラソンブームとなり、走る面白さを知った市民ランナーは、さらに過酷なトレイルランへとつながっていったのだ。
2016年夏のオリンピックの招致は、2008年に東京、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリードの4都市に絞られた。東京都は150億円を招致活動に使ったのだが、2009年10月2日のコペンハーゲンでのIOC大会で破れてしまう。決まったのはご存知の通り、南米初のオリンピックとして名乗りを上げたブラジル・リオデジャネイロとなった。日本の夏のオリンピック招致活動は1988年大会に立候補した名古屋(勝利したのはソウル)、2008年大会に立候補した大阪市に次いでの敗北である(勝利したのは北京)。それも早々に敗退する惨敗であった。
次の2020年大会には広島・長崎市が共同開催で表明したが大きなうねりにはならなかった。その反面、石原知事は2011年7月。2020年大会への再立候補を表明する。しかし、2012年10月、4期目の任期途中で辞職し国政に復帰する。あとを継いだのは、石原都政の副知事を務めていた作家の
猪瀬直樹氏だった。
石原都政の時代からオリンピック開催に反対する人は少なからずいた。それは莫大な予算がかかり負担が大きいというもの。しかし、猪瀬新都知事は「コンパクトで金のかからないオリンピックにする」と批判を交わした。猪瀬氏の2012年7月のツイートでは次のように発言している。「誤解する人がいるので言う。2020東京五輪は神宮の国立競技場を改築するがほとんど40年前の五輪施設をそのまま使うので世界一カネのかからない五輪なのです」。ちなみに、建築基準法における『改築』とは、建築物の全部または一部を取り壊すなどして、用途・規模・構造がほぼ同じものを建てること。規模や構造など大きく異なるものは新築という。
また、2020年大会への立候補は、東日本大震災の後からで、新たな意味合いが付け加えられた。世界に衝撃を与えた震災からの復活の象徴として行う「復興五輪」としたのだ。
2013年1月7日に国際オリンピック委員会(IOC)に提出された立候補ファイルによると、競技会場は総数37。東京圏にある33会場のうち28会場を、東京湾岸の晴海の選手村から半径8km以内に集約する「コンパクト」な会場配置にするとした。費用の点ではどうだろう。メインスタジアムの工費1300億円など4554億円の総工費で開催するとした。
2020年大会は、東京以外に、5回目の挑戦のトルコ・イスタンブール、3回連続して立候補しているスペイン・マドリードに絞られていく。