佐古忠彦監督
戦中最後の沖縄県知事を描いたドキュメンタリー映画
『生きろ 島田叡――戦中最後の沖縄県知事』が全国で公開されています。
アジア太平洋戦争末期、すでに日本軍の敗色が濃厚だった1945年1月31日に、内務省の官僚島田叡(あきら)は沖縄県知事の辞令を受け、家族を大阪に残し、ひとり那覇の飛行場に降り立った。知事就任と同時に、島田は大規模な疎開を促進、食料不足解消のために自ら台湾に飛び、大量の米を確保するなど多くの施策を断行。米軍が沖縄本島に上陸した後は、壕(自然洞窟)を移動しながら沖縄県内の行政を指揮した。
時間が経つにつれ、戦況の悪化に伴い、大勢の県民が日々命を落としていた。一方で、軍部からは「玉砕こそ美徳」という発想の下、陣地の構築や食糧・弾薬の運搬、戦闘に住民を総動員し、住民は軍と生死を共にせよという「軍官民共生共死」の方針を突き付けられていた。住民を守るべきか、それとも軍の命令に従うべきか。何としてでも周囲に「生きろ」と言い続けていた島田の取った選択は――
島田叡の語りは、佐々木蔵之介、主題歌『生きろ』は小椋佳が担当。今回は同作の監督を務めたTBS報道局の佐古忠彦さんに製作の背景や沖縄に寄せる思いなどについてお話を聞きました。
――制作の経緯についてお聞かせください。
佐古:2013年に一度、今回と同じく島田叡沖縄県知事を主人公にしたドキュメンタリードラマ『生きろ~戦場に残した伝言』を制作しましたが、ドキュメンタリーだけでは表現しきれないため、ドキュメンタリードラマという形になりました。ドラマの部分は緒形直人さんが島田叡を演じました。
そして、その次の年は海軍司令官大田實(みのる)を主人公にした『生きろ~異色の司令官が伝えたこと』を作り、また次の年は沖縄戦の様子を伝えた『戦後70年 千の証言スペシャル 戦場写真が語る沖縄戦・隠された真実』を作ったんです。
今回の作品は、その3つの番組を作った時に撮った素材に、新たな取材を加えており、住民から見た沖縄戦という視点も入れています。
――沖縄問題について多数作品を撮っていますが、きっかけはどのようなことだったのでしょうか。
佐古:News23という番組でご一緒した筑紫哲也さんとの出会いが大きいです。当時News23は、かつて筑紫さんが朝日新聞の記者時代、沖縄が本土に復帰する前の特派員であったということもあって、沖縄に眼差しを持った番組でした。先輩ディレクター達が沖縄に行っては番組を作って戻って来ていたのですが、いつの間にか自分もその一人になっていたんですね。
筑紫さんはよく「沖縄に行けば日本が見える。この国の矛盾がたくさん詰まっている」と言っていました。その言葉に突き動かされてきたように思います。当時から沖縄戦の取材を継続してきましたが、沖縄戦、基地問題、戦後史などが自分の中のテーマです。