三つの訴訟が最高裁を舞台に争うことになっているが、とくに生業訴訟については、今後はどのように訴訟を進めていくのか。
「生業訴訟は3つの目標を持っています。一つは『原状回復』です。この場合の『原状回復』は、2011年3月11日以前、例えば3月10日時点に戻せというのではなく、被害が生み出されるようなことのない状態にしてほしい、ということです。3月10日だと、事故は起きていませんが、被害の元凶たる原発は存在しているので、3月10日に戻せではありません。『原状回復』は、『放射能もない、原発もない地域を創りましょう』という広い射程で使っています。
また、原発事故の被害を受けた皆さんが言うのは『自分の受けた苦しみを他の人に味合わせたいとは思っていない、自分を最後の犠牲者にしてほしい』ということです。これは、被害の根絶ですが、突き詰めると原発をどうするのかという問題になります。ですので、2つ目の目標としては、裁判上の請求として『原発を止めろ』と求めているわけではないのですが、裁判を通じた取り組みとして、脱原発を目標に掲げています。
3つ目の目標としては、原告だけを救済すれば問題が解決したことになるのかといえば、原告以外にもたくさんの被害者はいるわけです。だから、原告にとどまらない、あらゆる被害者を救済せよという『全体救済』を掲げています」
さらには、全体救済のための制度化、立法化を求めていきたいとも語る。
「国も加害者だ、ということが法的に決着すると、国は法的義務として被害救済をしなければならなくなります。そして、事故による被害は多様で、お金だけの話ではありません。医療や生活再建、除染などについて、被害に即した形で、被害に見合った形での救済が必要となりますし、法律を制定し、制度化する、そうしたことを求めていくことになります。最高裁で判決を取っておしまいというわけにはいきません」
原発事故の被害者たち全体を救済することは、経済優先で動いてきた、私たちの社会そのものを問うことにもつながる。
「人の命や健康よりも企業の経済的利益を優先させる、そんな社会のありようでいいのか、それを問題提起したわけですね。訴訟でも、『電力会社の都合、企業の経済活動と住民の命と健康を天秤にかけているのではないですか』『天秤にかけた上で企業の経済的利益の方を優先させているのではないですか』と問うています。
しかし、そもそも人の命と企業の利益とは、天秤にかけられるような性質のものなのでしょうか。最高裁では、ここが焦点となります」
さらに、福島第一原発の事故は、「未曾有の公害」として、過去の公害事件と共通する構造があり、であれば、脱原発であると同時に脱公害を求めることだとも語る。
「原発事故も水俣病のような過去の公害事件と同様の構造があります。国策があって、地域を独占するような企業があって、地域支配があって、企業の城下町みたいになっていて、御用学者みたいな人もいて、一種の利益集団のようなものが形成されている。
『原子力ムラ』なんて言い方もありますが、国や企業の対応などをみても、あまり変わってないですよね。そうだとすれば、残念なことではありますが、公害を生み出す構造がまだ日本に残っていたということなのだと思います」