試合シーンのない野球映画『野球少女』。無自覚な性差別がはびこる今こそ観てほしい理由

偏見への憤りから生まれた物語

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 この『野球少女』の企画は、チェ・ユンテ監督の妻が、リトルリーグの女子生徒のインタビューを見て不愉快な気持ちになったことがきっかけで生まれたという。会話の中で彼女のことを「天才野球少女」だと持ち上げておきながら、「女子が野球をするのか?」という視点が露骨に現れており、ユンテ監督自身も「偏見以外の何ものでもない」と憤ったそうだ。  さらに、ユンテ監督は「プロバスケットボールやプロバレーボールなど他のスポーツは、競技名の前に『女子』『男子』と性別がつくけれど、プロ野球にはつかない。それは、男子だけがやるからではなく、男女誰もができるスポーツだという意味のはず。野球は男子だけの所有物ではないはずだ」という確信を持ったのだという。  この「女子が野球をするのか?」「野球は男子だけのものなのか?」という、固定観念による偏見は劇中でも取り上げられている。その疑問に対して、主人公は「これでもダメだと思うのか?」と聞き返したりする。それはユンテ監督の代弁でもあるのだろう。その女子に対する偏見への憤りへの抵抗を、男性の監督がはっきりと作品として示したというのも迫力がある。

モデルは実在の女子野球選手

 さらに、『野球少女』の主人公にはモデルにした実在の人物もいる。それは、1997年に韓国で初めて女子として高校の野球部に入ったアン・ヒャンミ選手だ。彼女はKBO(韓国のプロ野球リーグ)が主催する公式試合に先発登板した、最初の女子野球選手でもある。劇中に「20年ぶりに女子高校野球選手誕生」というセリフがあるが、その20年前の選手がアン・ヒャンミ選手であったりもするのだ。  実際のアン・ヒャンミ選手がそうだったように、『野球少女』の主人公も、これまでの社会的通念に反旗を翻し、制限された性の役割からの解放を叫ぶ。物語そのものはフィクションではあるが、実在の人物の信条を作品に映し出すという気概が、この『野球少女』にはある。  なお、チェ・ユンテ監督は、主人公について「周囲から影響を受けるのではなく、むしろ周囲に影響を与えるキャラクター」であり、「社会が作り出した枠に合わせようとする人たちに、自分だけの道を切り開けるように案内する人物であってほしいと願った」と語っている。この言葉通り、彼女がただ周りに流されているだけでなく、固定観念に囚われている周りの人々の意識や価値観を変えていく様に、勇気づけられる人はきっと多いだろう。
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