現在は、当時に比べればレイシズムへの批判意識が高まりSNSの規制もある程度行われるようになったからか、ヘイトスピーチを行う人々が「中国(あるいは中国人)ではなく中国共産党への批判だ」という体で街宣等を行うケースもある。
どう見てもレイシズム運動の顔ぶれなのに、上っ面の言葉ではレイシズムではないかのように装う。
一方で、
中国における人権問題の存在自体は事実だということも、私自身、チベット騒乱と北京五輪があった2008年と、チベット騒乱から1周年にあたる2009年3月の2度のチベット取材で思い知らされている。2009年は、中国当局が事前に警戒を強めて外国人の立ち入りを禁じた。私はいくつもの検問を誤魔化して現地に入り、チベット人に匿われた。ガレージの隙間から差し込む戸別見回りの警察車両のパトランプが遠ざかるのを、息をこらしてやりすごす、という体験もした。
人通りのない街を見回る中国の武装警察(2009年3月中国・チベット自治県内某所、筆者撮影)
現地ではチベット人たちが当局から「デモやビラまきをしたら、本人だけではなく家族の社会保障も全て打ち切る」と事前通告されていた。多くの商店はシャッターを下ろし、銃を構えた武装警察が隊列をなして何組も巡回していた。事実上の戒厳令だ。現場を取材することは出来なかったが、1人でビラを撒き「ダライ・ラマに長寿を!」と叫んで当局に連れ去られた僧侶がいたことを、当日に現地のチベット人から聞かされた。
私自身が取材したことがあるチベット問題だけを見ても、中国共産党を放置していいとは到底、思えない。たとえヘイトスピーチ等をしているような人々の言葉でも、「中国(あるいは中国人)ではなく中国共産党への批判」という体裁を目の前にしたら、正しい運動だと勘違いしてしまう人もいるのではないかという不安が拭えない。
いまから約1年後の2022年には、
北京冬季オリンピックが予定されている。だからこそなおのこと2008年を連想する。当時、北京での夏季五輪を控えてのチベット騒乱、中国の人権問題への注目、レイシズムによる便乗という構図や経過があった。後に在特会が社会問題化してく初期の頃に当たる。チベット問題は、レイシストが存在感をアピールするためのテーマの1つとして利用されたのだ。
チベット問題等の中国の民族問題や人権問題は、日本ではレイシズムに限らず保守運動と連携している場面が多々ある。たとえば日本に帰化したチベット人の
ペマ・ギャルポ氏は統一教会系団体や日本会議と関わりを持ち、また
幸福の科学による中国共産党問題に関するシンポジウムにはペマ氏のほかウイグル関係者も出席してきた。
そして今回のトランプ応援デモにも、それ以前の幸福の科学による中国共産党批判のデモにも、レイシストとともにヘイトスピーチ街宣等を行っている活動家が参加していた。もともと親和性は高い。トランプ応援運動だけで終わるはずがない。
チベット問題に加えて、現在は
香港問題や中国共産党による
ウイグル大虐殺疑惑も大きな注目を浴びている。いずれも実際に深刻な問題だ。2008年当時にはなかった勢力(たとえば幸福の科学の政治進出は2009年)も加わっている。そしてJアノンの一連のデモ等に、中国人や出身者による反中国共産党運動である
法輪功、
新中国連邦も参加していた。ネット上では、これらに
統一教会系の『世界日報』なども加わって
フェイクニュース発信も行われている。直接にはいずれの勢力にも属さないような人々ですら、それに翻弄されたり感化されたりする。
現在の構図は、2008年よりも複雑な広がりを見せている。
Qアノン的な陰謀論を批判するだけでは不十分だし、宗教団体の関わりを批判するだけでも不十分だ。
レイシズムも含めた日本のナショナリズムの問題として捉える必要がある。
<取材・文・撮影/藤倉善郎>