秀逸なのは、格差社会の構図そのものだけでなく、その状況にいる「その人自身」にも問題があると、明確に描いていることだ。青年と同室になった老人は人格的に最悪な人物として描かれているが、それと同時に「こういうやつは現実の社会にもいる」と思わせる、普遍的な存在にもなっている。
例えば、この老人は存分に食べ残しを食べるだけでなく、これから下の階層へと向かう食べ残しにツバを吐きかける。主人公の青年が「(上の人間に)同じことをされたら?」と聞くと、「たぶん、されている、クソどもだ」と吐き捨てる。果ては、下から「ワインを残せ!」と怒鳴られれば、これが「ワインだ!」と言いながら下に向かって小便をかける始末だ。
この老人は口癖が「明らかに」であることからわかるように、社会そのものと、そこに住まう人々を「わかりきっている」と達観している。その認識を、他人を見下し、悪意を明確にぶつける形で表出させ、彼自身がその悪意を向けられる側になっている状況すら受け入れているのが、最悪だ。
前述した老人は、自己中心的で他者への悪意に満ち満ちている反面、「信じやすい」性格として描かれていることが、また皮肉だ。
彼は、家でテレビを見た時に「サムライマックス」という名前の研ぎ器のCMの「どんな刃でも研げます」「レンガでも切れます」などの売り文句を聞き、「出演した主婦がみんな人生が変わったと言っていた」ことなどから、「俺もナイフを研がないから最低の人生なのかもしれない」と思い込んでいた。
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だが、その後に「レンガを切っても切れ味が落ちない、物を切るたびに勝手に鋭くなるナイフ」をもCMで紹介され、そこで彼は「やつらにバカにされた」と怒りをあらわにしたのだという。そして、本作では建物の中に「何かを1つだけ持ち込める」というルールもあるのだが、あろうことか、この老人が持ってきたのは、そのバカにされたと思ったはずの「勝手に鋭くなるナイフ」、その名も「サムライプラス」なのである。
何とも滑稽な話だが、さらにこの老人は主人公の青年が自主的にこの場所に来ており、半年間を過ごせば「認定証」をもらえるということを聞いて、「私は1年もいるから認定証を2つもらえるはずなのに」とも口にする。この老人はある罪を犯して「精神病院かこちらか選べ」と言われてここに来ていたためか、認定書を知らないどころか、その権利も与えられてすらいなかったのだ。この「情報弱者」ぶりも、また悲しくも滑稽だ。
その後も勝手な振る舞いをする老人に対して、青年はこう明確に告げる。「俺は、あんた自身の選択(の結果)だと思っている。上のやつらや、環境や、ここの管理者のせいじゃない。あんただ」と。
現実の格差社会で生きる人たちも「政治家が悪い」「ルールが悪い」などと外部に原因を求めることは多いだろうし、実際の問題としてもそうなのだろうが……この映画はそれ以外にも、やはり「その人自身」にも原因があるのではないか?と大いに思わせてくれる。この老人のように、他者を見下し、悪意をぶつける者ばかりが世に溢れれば、格差社会はさらに悪化もしてしまうだろう。