自身の無農薬茶畑の前に立つ大石さん。
1月22日。筆者は大石さんの自宅を訪ねた。大石さんは大学時代だけは地元を離れたが、卒業後は実家に戻って生協職員などの仕事に就き、週末に農業をする兼業農家として暮らしていた。
しかし、食の基本は「地産地消」であると考えていた大石さんにとって、合併などで巨大化していく生協での勤務に疑問を感じ、30歳で脱サラ。始めたのは平飼いの養鶏だった。茶園も無農薬栽培で取り組んだ。そしてその取り組みが評価され、固定客を確実に増やしてきた。
だが、2011年3月11日を境に状況は一変する。直後に爆発した福島第一原発から静岡県にも放射性物質が降り注いだのだ。顔の見える関係で地産地消に努めてきても、放射能汚染で顧客は次々と離れていった。
また、大石さん自身も精魂込めて育てた茶葉を泣く泣く全量廃棄した。若い時から脱原発運動に関わってきた大石さん自身が原発被害の当事者になったのだ。
周辺一帯への農地に供給するための水槽。ちょっとしたプールくらいの大きさがある。これも100%が大井川の水だ。
その経験もあり、大石さんは「環境は守らなければならない」と強く思っている。大石さんの陳述で「施設整備されていなかった時代の労苦は計り知れなく」との発言があるが、こういうことだった。牧之原市には小さな2級河川がある。農家はその川まで軽トラックなどで出かけ、水タンクに川の水を入れて畑との間を何往復もしたというのだ。
30年ほど前にできた水槽のおかげで今はそんな苦労はなくなった。だが、このままリニア工事が進めば大井川の流量が毎秒2トン減るという。大石さんは水槽の前で「でもその2トンにしても、計算の根拠はないわけです。もしかしたら3トンかもしれない。4トンかもしれない。それは冗談ではない話です」と強調した。
大石さんたちは紛れもなく、大井川の水に生かされていた。この裁判は、メディア、県行政、東京での行政訴訟原告団から熱い注目を浴びている。というのは「水」に関しては右も左も関係なく、それがなくなることに賛同する人間はいないからだ。
そして、山梨県の山梨リニア実験線の周辺では数十か所もの水枯れが起きている。その中には、工事との因果関係をJR東海が認めたものもある。静岡県で予定されている工事でも、工事期間中は隣の山梨県と長野県へトンネル湧水が流出することをJR東海自身が表明している。
もし裁判で原告が敗訴することがあれば、それは被告が「工事をしても、工事中も本線営業中も水は失われない」との確実な証拠を出すしかない。とはいえ、そこは裁判所の判断も入るので予断は許さない。