写真家・内田京子氏の写真集「Dark Light(ダークライト)」。そこに映されていたのは内田氏自身の一糸纏わぬ身体。それはまるで写実的に、日常を想起させるような家具や食品とともに陳列されていた。
内田氏の作品を初めて見た時に私自身が感じた第一印象として、なんとアンチヒューマニズム的なのだろうと素直に感じた。ここでいうアンチヒューマニズム(反人文主義)とは人間を世界の中心としない考え方。つまり、人間も他の有機体・無機体と同じように捉えることである。
ここでブラジルの人類学者、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロによるアメリカ先住民の思考を紹介したい。
ヴィヴェイロス・デ・カストロによると、アメリカ先住民は精神をありとあらゆる生命全てと同等のものとみなし、人間や動植物に差はなく、我々の目に見えるのは精神の多様な身体性と考えている。つまりこれは、精神は人間、動植物みな単一なものであるとし、そこに人間と非人間の差異はないと考えることだ。ゆえにアメリカ先住民は動物が死んだ時にそれをも人間と捉え、捕食し彼らを身体に取り込む。
ここで特筆したいのは、内田氏の作品は一般的に性的な眼差しを受けやすいであろう「女性の裸体」を非人間的に写実することにより、男性による家父長的な眼差しまでも否定しているということだ。精神が生き物全て同じとしたら、そこに男女の差はないはずだ。
「女性の身体」への主体性の獲得として近年、ジェンダーやフェミニズムの文脈により注目されている「ボディ・ポジティビズム」。これは簡単にいうと、今まで時代の変遷の中で女性の身体の理想像は常に変化しつつも、ある特定の型にはまり常に女性に圧力をかけていた事に対する否定である。
例を挙げると、顕著なのは痩せ型への過剰なまでもの信仰の否定。筆者も2000年代に中学、高校と多感な時期を過ごし、本来は成長期において大切な時期にも関わらず常に「ダイエット」をしていたのを思い出す。そしてこれは体感的に周囲の女友達、メディアによってこのもはや宗教的な信仰は常に再生産されていた。身長から110引いた体重が理想とされていたが、実はそれは健康的に如何なものかと今思う。
そのような文脈から生まれたのが「ボディ・ボジティビズム」であるが、話を元に戻すと内田氏の写真はそれをも超越した身体のあり方を想起させる。むしろヴィヴェイロス・デ・カストロ的な人間性の否定である。
内田氏は語る。「もともと私は絵画の勉強をしていました。絵画の勉強っていうのはモデルさんがいてね、モデルさんたちは長時間ずっと絵描きの視点に晒されて大変な肉体労働なの。もちろん、それがお仕事なのだけれども。私はその『拘束されている感』が凄く嫌だったのよね」