タバコの根性焼きの残る手の甲、アイロンをあてられた傷の残る胸元。鞠に残された傷は思わず目を背けたくなるものであるが、一方で救いのあるエピソードも展開される。鞠と凜との三人で親になると決意した金田は、金田の置かれている事情を慮り窃盗を見逃した刑事から仕事を紹介される。
紹介された運送会社を訪れると、社長の坂東(田中要次)は、「自分にも人に言えないマエ(前科)がある」と言い、金田を雇い入れようと温かい言葉を投げかける。また、「自分には学がないから医者を探してほしい」と鞠に治療を受けさせるよう金田から所持金を託された担任の満矢はその任務を果たす。この映画には、鞠の未来をより良いものにするための第三者の存在が描かれているのだ。
©YUDAI UENISHI
そして、児童虐待を防止する第三者としてのスタンスを、身をもって示したのが上西監督と言えるだろう。この映画を製作するにあたって上西監督を突き動かしたのは、児童相談所に勤務する楠部医師の「児童虐待に取って一番効果的なことは周りが関心を持つこと。社会が関心を持つことが最大の抑止になる」という言葉だったという。「アイロンを押し付けられた傷跡のある子どもたち」が「たくさんいる」という話に突き動かされたのだそうだ。
惨い話を聞くと目を背けてしまいたくなるのが人間の性であるが、過酷な現実を物語に昇華し、その中に家族の愛や人の良心を描き出したのは上西監督のクリエイターとしての情熱と力量の賜物であろう。また、物語は、児童虐待の過酷さを描くだけでなく、金田自身が救われるという希望のあるラストが待っている。そのストーリー運びは巧みであり、実に見事である。
本作はミラノ国際映画祭ではベストフィルム賞を、ロンドン国際映画祭では外国語部門でグランプリ、その他ニース、マドリードなど各国で最優秀監督賞や主演男優賞、助演女優賞を受賞している。海外の映画祭では上映が終わった瞬間、スタンディングオベーションがあった。子どもを思う気持ちは世界各国では変わらないという証左であるが、今度はこの作品が生まれた日本で惜しみないエールを送るべきではないか。
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我が国の昨年度の合計特殊出生率は1.36であり、前年度の1.42から更に低下した。出生率低下の要因は「慢性的な不況で大人が生きていくのがやっとなのに子どもを作れない」という意識があるからだという。子どもを社会で育てる姿勢がなければこの国は立ち行かないのは明白なのだ。
社会で子どもを育てることの姿勢を示してくれたのが上西監督、そしてこの作品の趣旨に賛同したキャスト、スタッフであるならば、観客もそれに追随すべきではないか。虐待のニュースを耳にしても、子どもたちが晒されている過酷な現実に対して具体的に何をすれば良いかは、皆わからないだろう。しかし、その実態を知ることはできる。そして知ることが子どもの命を救うことにつながるのだ。エンドロールが流れた時、この映画はその最初の一歩になり得ると確信した。読者の皆さんにも劇場に足を運んで、一歩踏み出すことをお勧めしたい。
<文/熊野雅恵>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。