世界三大テノールはなぜビッグビジネスになり得たのか? 映画『甦る三大テノール 永遠の歌声』が紐解く舞台裏
『甦る三大テノール 永遠の歌声』が全国で公開中である。
イタリアのモデナ出身のルチアーノ・パヴァロッティ、スペインのバルセロナ出身のプラシド・ドミンゴ、そして、同じくバルセロナ出身のホセ・カレーラス。ライバル関係だったオペラ歌手3人が集ったのは1990年7月7日のこと。サッカーワールドカップイタリア大会の決勝前夜、ローマのカラカラ浴場で開かれたコンサートだった。
その日は3位決定戦でイタリアがイングランドに勝利しコンサートの熱気は最高潮に。万雷の拍手を送ったのは6000人。しかし、そのコンサートはテレビ中継され世界で8億人が視聴していた。三大テノールコンサートのレコードは3日間で50万枚、1ヶ月後に300万枚、最終的には1600万枚を記録し、クラシック界最大のベストセラーとなる。
白血病で生死の淵を彷徨った後、奇跡的に復活したホセ・カレーラス。白血病の研究と白血病患者の財政的支援を行う「ホセ・カレーラス国際白血病財団」への寄附金集めとカレーラスの復活を祝うためにコンサートは開かれたのだった。そして当初、このコンサートがドル箱になるとは誰も予見していなかった……。
世界三大テノールのワールドカップ前夜祭でのコンサートは1990年イタリアのFIFAワールドカップを皮切りに、1994年ロサンゼルス、1998年パリ、2002年横浜と続く。そして、1996年からは、東京、ロンドン、ウィーン、ミュンヘン、ニューヨーク、ラスベガス、プレトリア(南アメリカ)などでのワールドツアーも敢行し8万人を動員した。
ドキュメンタリーは2007年のパヴァロッティの死去までを追っている。物語の前半はライバル関係にあったパヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴの3人がなぜ一堂に会したのかについて描かれているが、その様子は実に心温まるもの。白血病と闘病したカレーラスの復帰を歓迎する同業者の仲間のパヴァロッティ、ドミンゴその他の関係者が白血病と闘う人に捧げたチャリティーコンサートを開くまでのエピソードだ。
ところが、物語の後半はチャリティーコンサートが一転、4年ごとに確実にセールスが上がるビッグビジネスを巡る周囲の思惑を映し出す。1990年のコンサートの開催後、観客動員数やCDセールスでトップクラスの数字を叩き出したことにレコード会社や興行プロデューサーは色めき立った。4年後のロサンゼルスワールドカップで開催されるコンサートをドル箱ビジネスにしようと動き出すのだ。
と同時に、当時のマネージャーが1990年当時のレコード会社との契約内容を後悔するシーンも登場する。出演料を低く抑え、売り上げのロイヤルティーを高くすることを指揮者のズービン・メータと3人に提案したデッカ・レコード社に対し、ドミンゴが反対。結局、ロイヤリティーを低く抑える代わりに高額な出演料を内容とする契約にサインしたのだった。
ところが蓋を開けてみると、レコードセールスは出演料を遙かに上回る数字を叩き出した。売り上げ×数パーセントのロイヤルティーを徴収できる契約にしておけばどれだけ儲かったことか…。
そして行われた1994年ドジャー・スタジアムでのロサンゼルス公演。各々の出演料は100万ドル。世界中の報道関係者が殺到し、客席にはフランク・シナトラ等の他、グレゴリー・ペック、ジーン・ケリー、ニコール・キッドマン、トム・ハンクス、ティッパー・ゴアなど錚々たるセレブの顔が。このコンサートがクラシック音楽のイベントでの過去最高売り上げを記録し、13億人が視聴。この成功をきっかけに三大テノールはワールドツアーを敢行。そして、ワールドカップ開催時に定期的に開かれるイベントへと大躍進を遂げる。
世界三大テノールと呼ばれ、1990年から2003年まで続いたビッグコンサートの舞台裏を描いたドキュメンタリービッグビジネスの舞台裏
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