Kostiantyn Postumitenko / PIXTA(ピクスタ)
明けましておめでとうございます。微表情研究家の清水建二です。今年はコロナ禍で自粛が要請されましたが、お正月といえばまず初詣、神社や仏閣を想像します。そこで本日は、宗教の精神鍛錬の一つとして知られる瞑想と感情科学の関係について紹介したいと思います。
仏教思想の中に
六道輪廻というものがあります。
人が死ぬと生きている間の徳や罪業に応じて、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界のどこかに生まれ変わるという思想です。また、この六道世界は、死後だけでなく、生きている私たちの心の中にも存在していると考えられています。
怒りにとらわれていれば地獄界に、欲に溺れていれば餓鬼界に、本能を制御できなければ畜生界に、我が強く心を曲げ争い合っていれば修羅界に、平穏な状態を保っていれば人間界に、歓喜で過ごしていれば天界にいるのと同じ状態だと説かれます。
こうした仏教思想を日常・ビジネス生活に照らし合わせるとき、様々な六道界にいる私たちの姿が思い浮かびます。
自分の思いのままに人に怒鳴り散らしている人。
承認欲求や金銭欲が強い人。
本能のままに欲を爆発させ行動する人。
自己の主張に固執する人。
穏健で日々を誠実に生きる人。
笑顔を絶やさず周りも幸福にしてしまう人。
それぞれに具体的な自他の顔を思い浮かべることが出来ると思います。
仕事始めがやや過ぎた今日この頃。新鮮な気持ちで仕事をスタートされていると思います。
しかし、次第に仕事に忙殺され、積み重なる業務や達成できない売り上げ目標に心が乱され、プライベートの場にもその混乱が波及する。その結果、投げやりになったり、人当たりが強くなってしまう。次第に、人間界や天界以外に身を置いているのと同じ状態になってしまうのかも知れません。
私は日常の中に
瞑想習慣を取り入れています。
定期的に瞑想をすると、自分が日々、どんな感情状態で生き、どんなふうに人々に接して来たかを思惟することが出来、改めるべき言動に気づかされます。自分とは関係のないと思っていた人間界や天界以外にいる住人に知らず知らずのうちに自らも仲間入りしていることに気づかされるのです。
怒りやむさぼりのままに行動していたら、生きながらにして地獄や餓鬼、修羅界にいるの同じだと、本当に思い知らされます。
このような瞑想による個人的な気づきは色々あり、他者の体験談も見聞きしますが、感情科学は瞑想をどのように捉えているのでしょうか。瞑想が感情と表情に与える影響について観てみます。