――忘れ去られた森はどうなったのでしょうか。
髙木:人工林は人間の手入れなしでは成り立ちません。植えれば勝手に育って、使える木が伐れるというわけではないのです。放置された木々は枝葉が伸び、森に光が入らなくなります。そうすると地面に草が生えなくなり、土がコンクリートのように硬くなってしまいます。
硬くなった土は水を吸い込まず、降った雨は地表を流れ、時として土砂崩れを起こします。
そうならないように必要に応じて枝葉を落としたり、木を間引いて森の環境を整えたりする必要があるのです。それが「間伐」です。
手入れをした森には光が入り、草が生えます。土は柔らかくなり、雨が降ればしみ込んでいきます。大地に蓄えられた水は川にゆっくりとしみ出し、雨が降らずとも常に川に水が流れます。養分を含んだ水で川が豊かになると、今度は海が豊かになり、私たちに食べ物を授けてくれるのです。
もちろん木々もしっかりと成長をします。70~80年前に植えられて、きちんと手入れされた森の木々は、建物の柱や梁に使えるくらい立派に育っています。木は二酸化炭素を吸収して成長するのですが、大きくなった現在の木の二酸化炭素の吸収はピークに達しています。メタボになった大人と同じで、飽和状態なのです。
今こそ大人の木を伐採して木材として使用し、次の世代のために植樹する必要があるのです。若い木のほうがたくさんの二酸化炭素を吸収してくれますし、その木が使えるように育つまで何十年とかかります。未来を見据えた植林と森の間伐・手入れが必要なのです。
髙木さんが大切にしている、報徳二宮神社の徳守(とくまもり=二宮尊徳の教えを実現するための「報徳社」のメンバーに配られるお守りのようなもの)。「報徳思想の『至誠・勤労・分度・推譲』の中で『分度・推譲』を特に大切にしています。身の丈を知ったうえで、相手のためにやることがいつか自分に返ってくると考えています」と語る
――現在、伐採された木々はどのように使われているのでしょうか。
髙木:木を伐採して山から降ろすにも、人件費などお金がかかります。そのため、使う先がないと木を伐採してもそのまま山に放置されてしまうことがあります。そうすると雨が降った時に土石流のように山が削られ、丸太が流れて落ちて被害が出ます。
そうならないように、私たちは地元の木材を使用して住宅を建てたり、森に関わる仲間と一緒に地元の森にバンガローを作ったり、学校の下駄箱を作ったり、今回のように楽器を作ったりしています。
トレードオフ(より望ましいほうと入れ替える)としてチップにして燃料にされることも多くありますが、
できるだけ後世に残るものにしたいと思っています。そのような活動の中で、直接森とは関係のない大村楽器さんなどの地元企業と繋がることができ、多角的に地元の未来の環境を整えることができています。毎年「きまつり」というイベントも行っていて、多くの地元の方々が参加して楽しみながら森に親しんでくれています。
2017年には、小田原城に隣接する報徳二宮神社創建120年記念事業として、地域産木材での大鳥居の建設を行いました。木材の選定、伐採から製材、御木曳(おきひき)祭事、立柱祭(りっちゅうさい)を経て、竣工まで小田原の木に関するすべての力が集結しました。
御木曳に参加した地元の子どもたちが将来、大鳥居を建て替える時に地元の木を使えるように、今から森を育てておきたいのです。無理に地元の木を使わなければいけないルールにすると継続が辛くなるので、無理のない範囲で長く続けられる活動を心がけています。
小田原は山川里海が繋がっている地域です。神奈川県の4割の森が、県央の丹沢山系と県西の箱根山系に集まっています。小田原はその森の玄関口なのです。