「誤解などしていない。5人以上の会食を控えよという政府の呼びかけを私たちは正しく理解している。その呼びかけに反する行動を菅首相自身がとったことを私たちは批判しているのだ」というのが、国民の側の気持ちだろう。
そのため、5人以上の会食に菅首相が参加したという行動だけでなく、「国民の誤解を招く」という言い方を菅首相がしたことにも、批判が集まった。それを受けて17日の加藤官房長官の記者会見では、「誤解」という表現に焦点を当てた記者の質問がおこなわれている。
そのなかで
東京新聞の村上一樹記者の質問が興味深い。17日午後の官房長官会見での問いだ。まず村上記者は、「国民の誤解」という発言に対し、「批判」があがっている(村上記者も「反発」とは表現していない。良いことだ)と指摘し、受け止めを聞いている(
映像の13:23~)。
しかし、加藤官房長官はそれに応えない。「誤解」という言葉を口にしないまま、話をはぐらかす。まず、そのやりとりを見ていただこう。村上記者が問うている間、加藤官房長官は下を向いて書類を見ており、村上記者の方に目を向けず、表情を見せないようにしている。
●村上記者
東京新聞の村上です。首相の会食と、その後の「国民の誤解」との発言について、改めて伺います。会食それ自体もさることながら、「国民の誤解」と発言したことについても、野党などから、「国民は誤解していない」などの批判があがっています。
こうした「誤解」発言に対しても疑問視する声があがっていることを、政府はどう受け止めていますでしょうか。
●加藤官房長官
あの……、今朝の会見でも申し上げたところでありますけれど、感染リスクが高まる5つの場面で指摘されている、大人数や長時間の飲食を避けることをお願いしている中で、総理の当該会食が適切だったのか、という、まさに指摘だというふうに考え、総理からも、「大いに反省している」というふうに述べておられるわけであります。
あの、引き続き政府として、国民の皆さんの声を真摯に受け止めて、対応していきたいと考えています。
菅首相は「真摯に反省をいたしております」と語っていたのに、加藤官房長官は「大いに反省している」と言いかえてしまっているが、まあ、そこはおいておこう。
この加藤官房長官の答弁から分かるのは、「国民の誤解を招くという意味においては」という菅首相の発言について、これ以上追及されたくない、という姿勢だ。
もし菅首相の行動によって、国民の側に何か「誤解」が生じてしまっており、そのような「誤解」を招く事態となっていることが「真摯に反省」しなければならない状況であるのなら、菅首相も加藤官房長官も、その「誤解」を解き、国民が「正しい理解」に至るように、説明を尽くす必要があるはずだ。しかし、そのような姿勢は見えない。
注目されるのは、村上記者がこのやり取りで諦めずに、別の記者の問いのあとでもう一度、更(さら)問いをしたことだ。今度は「国民の誤解」とはどういう意味かと、ストレートに問うている。そう問い直すことによって、加藤官房長官がその質問から逃げたがっていることが、改めて浮き彫りにされた。
映像の17:13からだ。見てみよう。
●村上記者
東京新聞の村上です。
先ほどの「誤解」発言について、もう一度、お伺いいたします。
ちょっと私の理解が足らなかったのか、ちょっと理解ができなかったので、(理解が)追い付かなかったので、もう一度、お伺いしたいんですけれども、先ほど、大人数や長時間に及ぶ飲食を避けることをお願いしているにもかかわらず、当該会食をおこなったことが適切だったかどうかということが、指摘を受けているというご説明だったかと思うんですけれども、大人数での食事をしていたということ自体は、事実としてあったと思うんですが、そうしますと結局、
国民が誤解をしたとしたらという、その「国民の誤解」というのは、どういう意味だったんでしょうか。
●加藤官房長官
あの……、そこ……に留意するよりも、むしろ、さまざまなご指摘を受けてですね、総理はまさに、大いに反省しているというふうにおっしゃっておられるわけでありますから、まさに、その気持ちがすべてではないか、というふうに思います。
さて、どうだろう。「
反省していると言っているのだから、もういいだろう」という開き直りのように聞こえる。国民が「誤解」しているかのように菅首相が一方的に言及したことが批判されているのに、その「誤解」について、どのような意味かと改めて問われても、何も説明しない。なぜか。それはつまり、菅首相が会食に参加したこと自体に非を認めていないということを明言するわけにもいかず、しかし、「国民の誤解」という発言を撤回するわけにもいかず、加藤官房長官がその場で何とか言い繕おうとしているからだろう。
つまり、
「国民の誤解」というのは、本質的に反省しないまま反省しているそぶりを示すために、都合よく動員された口実だと考えることができる。国民の側は、自分たちが「誤解」しているかのように、不当にいいがかりをつけられたのに、そのことを抗議しても、「そこに留意するよりも」と、その抗議自体もまた「不当ないいがかり」であるかのように、加藤官房長官は、いなしたのだ。「そこに留意するよりも」とは、「いずれにいたしましても」と同じだ。