さて、筆者は「国民の誤解」という表現も含めて菅首相の「反省」発言を整合的に解釈してみた。「
他の方の距離は十分にありましたが、国民の誤解を招くという意味においては、真摯に反省をいたしております」という菅首相の発言は、言葉を足せば、たぶん、こういう内容になるだろう。
「私が8人ほどの会食に参加したことから、5人以上の会食をしても全く問題はないかのような国民の誤解を招くこととなり、真摯に反省をいたしております。
5人以上の会食は場が盛り上がることによって飛沫が飛びやすくなり、感染のリスクが高くなるため、注意していただきたいという政府の従来の説明は、なんら変わるものではありません。しかし、内閣総理大臣の私にとって、会食の機会は、非常に重要なものであることもまた、ご理解いただきたいと考えております。
確かに私は、「静かなマスク会食」をしたとは言い難く、食事の間、マスクは袋に入れており、席にはアクリル板も設置されておりませんでした。しかし、このステーキ店は換気が行き届いており、座席の間隔も保たれておりました。感染のリスクは低い環境であったと考えております。この会食に参加したこと自体に、反省すべき点があったとは、私は考えておりません。
とはいえ、このような整った環境での会食は高価なものとならざるを得ないことも事実であり、国民の皆さんに同様の環境で会食を楽しんでいただくことは、なかなか難しいものと考えております。従って国民の皆さんには、引き続き5人以上の会食はできるだけ避けていただき、『静かな年末年始』を送っていただきたいと考えております。」
つまり、「
私の会食については、問題はなかったのですが、皆さんは5人以上の会食は控えてください。そこは誤解しないでくださいね」ということだ。もしそのように説明すれば、「国民の誤解」という言葉も整合的に説明することができるが、しかし、国民の反感を大いに買うことは、間違いないだろう。
このように、自分たちに都合よく相手の「誤解」を想定して、「誤解を招くこととなり反省している」などと反省の「そぶり」だけを見せ、実のところは自分の言動についてはなんら反省の意を表明しない、といったことはよくあることだ。
よくあることだが、それを見過ごさずに、「その『誤解』とは何か」と、記者はその場で問い直してほしい。そうすることによって、言い逃れを許さず、改めるべきは改める、という率直な姿勢を引き出してほしい。
「謝ったら負け」のように政府が非を認めない姿勢に固執することは、今のように新型コロナウイルスの感染拡大が続く状況の中で、政府が柔軟に軌道修正しながら現状に対処することへの支障となる。頑固な首相とその首相を無理筋でも擁護しようとする閣僚たち、という現状は、私たちがNOを言い続けることによって、変えなければならない。
◆【短期集中連載】政治と報道 第10回
<文/上西充子>