フォントとしての「ゲバ字」。筆跡で特定されないために生まれた?
「ゲバ字」と呼ばれる書体がある。トロ字という呼ばれ方もするこの書体だが、タテカンと呼ばれる立て看板やビラ、ステッカー、横断幕、落書きなどで使われた書体である。ワープロやパソコンの普及、時代の変化もあって、いまや書かれる/見られる機会も減ったが、かつては多く学生運動や大学の自治運動、労働運動の現場で見ることができたものだ。もっとも、その時代には「ゲバ字」とは呼ばれていなかったという証言もあるのだが、いわゆる「68年」のムーブメントの中で生まれた、一種のグラフィティ・カルチャーとして印象深い。
学術的にも研究されるようになり、また2017年には国立歴史民俗博物館で展示『「1968年―無数の問いの噴出の時代」』が開催されるなど、68年を振り返るモードもここ数年見られる中で、改めてこのゲバ字に着目してみたい。
第二次大戦前から、政治運動、それと同伴する文化・芸術運動のシーンにおけるビラやポスターなどでは独特の文字が使われていた。グラフィックデザイナー・高橋錦吉の『図案文字のかき方』(1956年)によると、この種の文字が「左翼不定文字」と名づけられていたという。この文字が登場した背景を高橋はこのように語る。
「丁度30年も前であったとおもいます。治安維持法という悪法が出て(中略)その当時左翼の美術家たちは地下にもぐって(中略)ポスターや伝単(※筆者注:ビラ)の例を、木版刷や謄写版の印刷で作って、辻の電信柱などに貼りつけて、当時の人たちに驚異の目をみはらした時代があったのです。
厳しい地下組織のなかで一刻も早く大衆にアッピールするために、しかも四囲からつけねらわれている身として、最も短い時間の内にこれらの仕事を果たすのですから、原稿を作るにしても少しの余裕もありません」
警察などの監視下で、隠密裏かつわずかな時間のうちに強烈な印象を残すポスターやビラを作る、ということでこの「左翼不定文字」が生まれたという。20年代ならではのモダニズムというか、プロレタリアな感じが印象深い書体だ。
ゲバ字の登場以前から、左派といえばこれ、という書体があったというわけだ。
ゲバ字に話を戻そう。この書体は、謄写版の書体を基にした書体と言えるだろう。60年安保と、続く大学管理法案が焦点化した時期にはゲバ字、とみなすことができる書体の登場が確認できる。ゲバ字は68年的なものの登場とともにあり、そうであることを証明する書体として様式化されている、というべきか。
だから、というわけではないけれども、左翼不定文字とゲバ字に、たとえば書き手が直接影響を受けた、というような意味での連続性を見いだすのは難しいだろう。左翼不定文字とゲバ字の共通性として、「一刻も早く大衆にアッピールする」などといったことから、政治的、社会的緊張を受け止める感性、美しく、かっこよく書こうという動機など、共通のものを見出しうるが、前者と後者の違いは、単純に世代も違うということもあるが、前者が美術家によるプロフェッショナリズムの反映と、なすべき任務として作られているという性格を強く持つのに対し、後者は、書きたい人間が書くべきときだけでなく、書きたいときに書く、というのが許される、むしろそれが重要、という感性が存在するようになった時代の文字であるということだ。
戦前の「左翼不定文字」
謄写版が基になった書体
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