ワクチンの知財保護で世界は分断されてしまうのか? 議論呼ぶ「ワクチン・ナショナリズム」

巻き起こる論戦

 すべてを紹介できないが、提案をめぐっては他にも多くの論点がある。しかし、WTOでの各国の主張を見ている限り、「知的財産権は手放さない」という先進国側の態度はあまりに頑迷で、未曾有の危機を協力して乗り切ろうという姿勢は残念ながら感じられない。  欧米のメディアでも、賛否は分かれ論争が繰り広げられている。TRIPS理事会に向け途上国の提案への指示が広がる中、12月7日付のニューヨーク・タイムスでは、進歩派のマクロ経済学者のディーン・ベーカー氏やインドの経済学者アルジュン・ジャヤデヴ氏らが「ワクチンを一番に手に入れたいのか?知的財産権の一時停止を―さもなければ豊かな国にも十分に普及する製品数は足りなくなる」との論考を共同執筆し、米国はじめ先進国政府へ知的財産権の免除を呼び掛けた。  一方、11月19日、ウォール・ストリートジャーナルは編集委員会の文責にて、インドと南アが提出したTRIPS免除の提案を「特許の強盗だ」と非難し、先進国の主張に沿った記事を掲載した。さらに先述のベーカー教授らへの反論として、国際製薬団体連合会(IFPMA)事務局長トーマス・クエニ氏は、「ワクチン特許のルールを停止することのリスク」を同じニューヨーク・タイムズに掲載。途上国政府のみならず国際市民社会の主張に全面的に反論する内容で、医薬品特許の免除をめぐる議論の一致点は見いだせていない。

論争の間もワクチンを待つ間も、死者は出続ける

 しかし明白なことは、やがて開発されるであろう治療薬やワクチンを最初に入手できるのは、日本を含む先進国の人々であり、途上国・新興国の圧倒的多数の人々は、その後いつになるのかもわからない長い順番待ちの状態に置かれるということだ。この現実に、日本の私たちを含む先進国の人々は、「仕方のないことだ」と済ませていいのだろうか? グローバルなパンデミックを本当の意味で封じ込めるためには、世界の多くの国に治療薬やワクチンを早急に行き渡らせる必要がある。また途上国の多くの人々は、ワクチンの治験に積極的に協力・参加し、その開発に文字通り献身的に貢献している。こうした事実を知った上でも、まだ先進国は知的財産権の放棄を頑なに拒み続けるのだろうか。  この問題に取り組むため、私たちを含む日本のNGO・市民団体は、11月に「新型コロナに対する公正な医療アクセスをすべての人に!連絡会」を立ち上げ、日本政府に働きかけている。  日本ではワクチン・医薬品の特許をめぐって、ほとんど議論が起きていない。製薬企業は開発に尽力しており、そこには一定の利益が確保されるべきだということは多くの人が認めるところだ。その上で、すべての人にとって不可欠な医薬品アクセスの公正・公平な配分を目指して、現在考え得る様々な措置を、政治的な決断をもって実行に移すべきではないか。新型コロナウイルスのパンデミックは、これまでの「知的財産権VS医薬品アクセス」という対立構図を越えて、新たなルール形成をする契機を私たちに迫っている。 <文/内田聖子>
うちだしょうこ●NPO法人アジア太平洋資料センター〈PARC〉共同代表
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