荒れ果てた過去を持つ青年は、負け犬ボクサーに何かを見出す
本作の3人目の主人公となるのは、プロテストのため日々トレーニングを積んでいる青年の大村龍太(北村匠海)。ジムでサンドバッグを叩いている晃にタメ口で話しかけていて、7年前の日本タイトルマッチで晃の試合を見ていたという龍太は、その後も何かと晃のことを気にかけるようになる。
彼は若くて将来を有望視され、長年連れ添った妻との間に子どももできていた。だが、彼は親に捨てられ児童養護施設で育ち、半グレとして荒れ果てていた過去を持っており、そのことが彼の人生に暗い影を落とすようになる。
(C)2020「アンダードッグ」製作委員会
龍太は、表面上ではリア充な青年にも見える。そのことが前述したお笑い芸人の瞬に続いて、相対的にボクシングにしがみつき負け犬人生を歩んでいる晃が惨めに見えてくるという構図がある。だが、瞬にとって晃はとある理由によって、どこか憧れを抱くような、そして自身の人生に多大な影響を与えていた存在でもあった。後編で描かれるのは、そんな彼と晃との因縁であり、それは後の闘いにおいても重要な意味を与える。
この『アンダードッグ』は前後編合わせて4時間半超えというボリュームをもって、3人の主人公それぞれの境遇や周囲の評価、『ロッキー』のような“負け犬”の側面、何よりもボクシングで闘う理由を丹念に描き出していく。それらは暗く苦しくはあっても、奥深くも豊かでもある。そうした人生の多面性を描くためにも、この上映時間は必要だったのだ。
本作には直接的な性描写があり、R15+指定がされている。“性”は言うまでもなく根源的かつ生物的な欲求であり、そのことが3人の主人公それぞれが生死をかけていると言っても過言ではないボクシングの試合に赴く様、もっと言えば“生”への渇望にダイレクトに繋がっているようにも見えた。
また、幼い娘を連れたシングルマザーがデリヘル嬢として働き、ボクシングにしがみ付く主人公の晃がその運転手を務め、不健全な関係にも染まっていくということなどには、セックスワーカーの貧困の現状がつぶさに作劇に反映された結果にも思える。
間違いなく言えるのは、本作における性描写はただいたずらに過激というだけでなく、キャラクターそれぞれの境遇の過酷さや、その必死に生きようとする意思のために必要であった、ということだ。性描写に眉をひそめる方もいるかもしれないが、それがあってこその切実な人生のドラマ、そして試合が鮮烈に映るという効果を生んでいることにも、注目してみてほしい。