ハンストを始めたころの菅野氏。この後、25日間にわたりハンストを行い、8kg痩せたという
最初に断言しておこう。日本学術会議に対する、菅総理による人事介入は、明々白々たる違法行為である。
「学問の自由が侵害される」などと大上段に構える必要とてない。単に、日本学術会議法が規定する総理の権能と、昭和24年の同法成立以降歴代の内閣が国会で積み重ねてきた政府答弁が「内閣総理大臣は、日本学術会議の人事に介入するべきでないし、日本学術会議法の条項は、内閣総理大臣による人事介入を禁ずるよう書かれているものだ」と確定している以上、菅政権が行った日本学術会議への人事介入は、「総合的かつ俯瞰的な判断」を根拠にするものであれなんであれ、朗々として、違法行為である。
違法行為を「朗々」と形容するのはいささかおかしいかもしれない。しかし、この問題が報道され出した当初から、菅政権が見せる態度を見てみるといい。あれは「朗々と朗らかに違法行為を謳歌している」としか言いようがないではないか。自分の行為にいささかの疑問も抱かず実に晴れやかかつ伸びやかに、「違法行為だよ! 知ってるいよそんなことは! でも、自分たちがやっていることは、自分たちはやりたいようにやるのさ‼」と違法行為を謳歌している。これを形容するには「朗々」という言葉こそが最もふさわしい。
「見た目」の問題として、そこまでの「朗らかさ」を今の政権から感じないのは、単に、菅義偉や加藤勝信の「ルックス」が、典型的な無教養人のそれであり、ごく普通の民間の上場企業ならばそれだけで査定が下がるほど、身だしなみが不潔であるからでしかない。その種の視覚的要素を排除し、この政権が発足前後から重ねてきたさまざまな発言を論理的に解析してみれば、いかにこの政権が、「違法行為を違法行為と知った上で、違法行為をやってみせる」やる気に満ち溢れているかがわかる。
日本学術会議への人事介入は、その端緒であり最もわかりやすい事例だろう。こう考えて整理してみれば誰しもわかるはずだ。菅総理は総裁選の最中に「公務員が内閣の方針に反対するなら退いてもらう」と言っている。また一方で「我々は選挙で選ばれたのだから、前例踏襲をよしとせず、さまざまな改革に着手する」とも言っている。そして日本学術会議については「会員は公務員である」と言いのけている。
この3つを合わせて考えると「内閣総理大臣による人事介入は厳に禁じられるところであるが、我々は選挙で選ばれた以上、法律や前例に囚われることなく、その方針に反対する公務員の首をはねていくわけで、日本学術会議に人事介入するのは、法はどうであれ当然である」と言っているに等しいではないか。つまり菅義偉は、「選挙に勝って政権についた以上、自分たちに法律なんて関係ない」と言い切っているのだ。
かかる前代未聞の異常事態に抗議するため、私は、日本学術会議への違法な人事介入に関する初報のあった翌日=10月2日から、首相官邸前に座り込みハンガーストライキに突入した。合計25日にわたるハンストの意図・目的などはすでに月刊日本編集部が取材してくれており、
同誌11月号に掲載されているはずで、重複をさけるためここでは触れない。ただ、ハンスト期間冒頭で行われたあのインタビューの後、私が目撃した、「官邸前の警官たちの様子」に関しては、違法行為を違法行為と知りながら「朗らか」にやってのけてしまう菅政権の本質を考えるために、報告に値するだろう。
周知のように、杉田官房副長官を始め、警察官僚、しかも公安畑の官僚が官邸官僚として君臨するのが、菅政権の特徴であり、これまでの政権との大きな違いだ。これまで、どの政党のどの政権であれ、主要な補佐官や秘書官は、財務・経産・外務の所謂「主要三省庁」出身者が占めることが通例だった。その職務・職責として日常業務の一環で天下国家の議論を行っている省庁はこの三省庁しかない以上、それが当然の成り行きだろう。
だが、「異論を唱える人間は殺す」と「朗らか」に言ってのける菅義偉は、良き前例として踏襲されてきたこの人事慣行をも無視し、周りに公安畑の人間をはべらせ、霞ヶ関と永田町を睥睨している。
主人の態度がそうである以上、その主人の館を警護する警察官の態度も実に尊大なものだ。永田町を所轄する麹町署の警官・刑事たちは、管内の市民との接点があるためまだ正常な判断能力と事務処理能力を有しているが、主人の意のままに動くことを職責とする機動隊員の能力の低さと態度の尊大さと、近代的な法知識のなさは、「これが本当に、世界の先進国なのか?」と訝しむほどだ。
事例をあげよう。ハンスト中のある日のこと。私のハンストに触発されたかどうかは知らぬが、とある青年が「日本学術会議への人事介入に抗議する」とだけ書かれたプラカードを持って、静かに官邸前の交差点に立った。
彼がそこに立っていたのは二時間ほどのこと。その間、彼は一言も発しない。シュプレヒコールもあげず演説もせず、ただただ画用紙にかかれたプラカードを持って静かに、国会記者会館を背にし、官邸と正対しながら立っていただけだ。
自宅と会社の通勤経路は地下鉄南北線だという彼が、たった一人の静かな抗議を終え帰途につくため、官邸の真裏にある溜池山王駅を目指して歩き出したその瞬間、「その横断歩道を渡るな!」と歩哨に立つ機動隊員が彼の行動を抑止した。「抗議活動をする人は、官邸に向かって伸びるこの横断歩道を渡ってはいけない」と、その機動隊員はいう。歩行者用信号は青。現に、他の通行人はその横断歩道を渡っている。「プラカードを持っていた」だけで通さないという法はないはずだ。
横断歩道を渡ろうとしていた当該人物はもちろんのこと、この様子を目撃していた私も、当然のように機動隊員に抗議した。「警察法第2条第2項に『警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない』とある以上、君がやっていることは、明確に違法だぞ」というものの、機動隊員は「法の規定の問題ではないのです。上から言われている以上、こうとしかしようがないのです」の一点張りだ。
こちらとしては、機動隊員が「法の規定の問題ではない」と「朗らか」に言ってのける様子にあきれ返りながらも、「だったら、歩哨に立つ諸君らにそう命じる、『上』とやらを連れてこい」と言うしかない。
現れたのは、「隊長」と名乗る人物だ。年の頃なら50手前。管理職として脂の乗り切った年齢だ。だが「この人物とならまともな話ができるのではないか」という当方の淡い期待は即座に裏切られることとなる。警察法第2条第2項の規定、憲法の規定などを根拠に「この横断歩道を渡らせないことがいかに不当か」を説明したところ、「隊長」の口から驚くべき言葉が発せられた――。
「法や憲法の規定など、関係ない。総合的俯瞰的に判断して、通っていただくわけにいかない」
「総合的俯瞰的」‼ なんたることか。菅総理や加藤官房長官が恥ずかしげもなく発するあの言葉が、現場の警官たちの脱法行為を正当化するためにも用いられている。こうなるともはや、驚きを通り越して「飼い主の言葉が、どこまで現場を汚染するのか試してやろう」という知的興味がわいてくる。
そこで試みに、「では、もし今、横断歩道を渡ってはいけないと言われた彼の持っていたプラカードに、『菅総理、万歳! 万歳! 万々歳‼』と書かれていたら、その『総合的・俯瞰的判断』はどうなるのか?」と「隊長」氏に尋ねてみた。
「あくまでも個人的にだが」と前置きをした上で「隊長」氏はこう答えた――「その文言であれば、問題なく、横断歩道を渡っていただける」と。
官邸前の警備の現場ではこうした異常な警備行為が、毎日繰り返されている。25日にわたるハンストで目撃し続けたのは「法の規定など関係ない」と言い放つ機動隊員の姿とその判断根拠を「総合的俯瞰的」となんのためらいもなく言ってのける警察の管理職たちの姿だ。
彼ら(そう言えば、女性の機動隊員がいない。これもいかにあの組織がいびつなのかの証左だろう)がそう言いのける姿には、一点の曇りもない。彼らはなんの躊躇もなく「法の規定なんぞ関係ない」と言ってのけるし、「総合的俯瞰的な判断だ」と飼い主の言葉をそのままためらいなく口にする。その愚劣な「朗らかさ」までもが、飼い主そっくりだ。
「鯛は頭から腐る」という。近代国家であったはずの日本の法治主義も、「選挙に勝った以上、違法も合法も関係ない。自分たちのやりたいようにやるまでだ」と言ってのける、愚劣な菅義偉が総理の座に座った瞬間から、腐り始めたのだろう。その腐臭は、現場で歩哨に立つ警官までをも汚染し始めている。
おそらくその腐臭が、一般の市民生活をも犯し始めるのも、時間の問題だろう。
<文・菅野完>
<記事提供/
月刊日本12月号>