では、反対運動を担う「市民」はどこにいたか──。
朝夕の路上でのチラシ配りや街頭演説。自治会や市民団体が開く勉強会や講演会。新型コロナ対応で逼迫する保健医療関係者の運動。大学研究者たち132人の声明と記者会見。市民や学生のグループが企画した討論会はネット中継され、SNSでも多くの声が上がった。そして投票当日、投票所前で看板を掲げて立つスタンディング宣伝……。
前回のように党派を越えた連携は見られず、コロナ禍もあって、大勢が集まる機会こそなかったが、さまざまな場所で個々ばらばらに散らばって、いわばゲリラ的に運動が展開された。今里の商店街を歩いていると、「昼休みの1時間だけ仕事を抜けてきた」と看板を掲げる女性2人組がおり、梅田では「昨日、市民団体の事務所でチラシをもらってきた。こんなことするの初めてです」と、たった一人、慣れない様子で配る若い男性に出会った。
マスメディアを通じた松井や吉村の知名度を強みに、要所要所で大規模な街頭演説を行い、形勢が悪いと見るや、公明党の山口那津男代表を呼んで、支持者で路上を埋め尽くした賛成派の動きとは、大きく異なっていた。
政党の縛りによる上からの動員か、市民が自発的に行動した下からの運動か、という点においてだ。
維新の松井、吉村両氏と並んで梅田で演説する公明党の山口代表。周辺の歩道は支持者でごった返した
組織命令の限界を思い知らされたのが、公明党だろう。前回の反対から、今回は創価学会総本部の指示で賛成に転じたが、票をまとめきれず、出口調査によれば、支持者は真っ二つに割れた。理由の一つに、公明の大阪市議OBたちの反対運動がある。市議を32年務め、市議団団長や副議長も務めた重鎮の中西建策氏を中心に、十数人が大阪市存続を訴えて動いた。
中西氏は
You Tubeチャンネルを開設し、自ら書き下ろした冊子を作成。戦後の大阪市政を振り返り、政令指定都市だからこそ発展してきた都市の歴史を「孫たちに語る」というスタンスで語った。創価学会員のある女性は、「最初は上から賛成するように言われ、従わなあかんのかとモヤモヤしていましたが、あれを見て、ああ反対してもええんやと思った」という。
川嶋を取材していた中では、10月21日に淀川区の
十三で開かれた公開討論会が印象に残る。住民投票に詳しいジャーナリストの今井一氏が企画したものだが、賛成派は維新の府議と市議が出たのに対し、反対派は川嶋ともう一人、市民代表として國本依伸弁護士が登壇した。議員同士だと、法定協やテレビ討論のように、制度の詳細をめぐって互いの主張を言い合うだけで終わるところを、國本氏は市民の目線から根本的な疑問を投げかけた。
たとえば、維新が主張する「二重行政」とは何か。國本氏が「定義がどこにも示されていない。府市の調整ロスがある前提で話をされるが、それによって事業や投資が停滞した具体例を挙げてほしい」と問うと、維新府議は万博の開催地を例に挙げ、「もしも府だけで誘致すれば、会場は大阪市内にならない。府と市の間で感情的に調整がつかない」と口にした。二重行政とは制度の問題ではなく、両自治体の首長や職員間の「感情的対立」であることを吐露してしまったわけだ。対立があるのなら話し合いで解決するのが政治家の本来の仕事であり、「面倒だから片方を潰してしまえ」というのは、ただの暴論である。
ほかにも、市をなくせば、大阪市民が広域行政について選挙で民意を示す機会が半分に減ること、都構想で経済成長するという宣伝に何ら根拠がないことなどを國本氏は質疑で明らかにし、「そんな曖昧な根拠で130年続いてきた都市を潰すのはあり得ない」と主張した。いずれも制度設計や財政シミュレーションといったテクニカルな問題以前の、基本的だが、きわめて重要な論点である。
こうした市民個々の動きや情報発信が前回以上に活発だったにもかかわらず、マスメディアで報じられる機会は少なかった。私の知るミニコミ紙記者は「反対派の市民運動の現場で、新聞やテレビの記者に会うことはほとんどないですね」と話していた。
これを聞いて思い出したのが、5年前に『
誰が「橋下徹」をつくったか』を書いた当時に取材した在阪テレビ局ディレクターの言葉だ。住民投票の報道を、彼はこう評していた。
「橋下氏をヒーローのように扱う一方で、反対派は、自民から共産までが手を組んだ顔の見えない既成政党の集団みたいな見せ方になっているでしょう。ほんとうは、学者や地域のさまざまな団体もこぞって反対し、若い子たちがボランティアでビラを配ったりしていた。そういうことが全部なかったことになっている」
これは、在阪メディア記者たちに根強くある維新や都構想へのシンパシーを指摘する言葉でもあった。日々、役所を足場に、首長にぶら下がって話を聞くことが最重要の仕事になっているがゆえに、「市民」のいる「現場」が見えていない。見ようとしない。言い換えれば、維新のメディア政治と政局報道の限界ではないだろうか。
<取材・文・写真/松本創>