DXには、国家主導で野放図に進めるか、それとも倫理とルールに基づいて進めるか、大きく2通りに分かれます。DXやデジタル化といっても、中身によってはまったく違う社会に至るのです。
前者は、国家とデジタル界(企業や研究機関など)がタッグを組み、個人情報や公正さなどで多少の実害が生じても、デジタル化の発展を徹底的に追求する路線です。
アメリカやロシア、中国などの方針です。その背景には、独占・寡占状態で豊富な資金を持つ企業が、制約のない状況で研究開発をすることで、画期的なイノベーションに至るという、新自由主義的な考え方があります。イノベーションの重要性に着目した経済学者・シュンペーターの考え方も同様です。
後者は、個人情報や公正さなどを損なわないように国家がルールを整備し、その枠内でのデジタル化を追求する路線です。デンマークなどの欧州諸国で見られる路線です。その背景には、取り返しのつかない被害を社会にもたらすべきでないという予防の発想に加え、適切な制約を課す方が、社会にとって有益なイノベーションに至るという、制度経済学的な考え方があります。情報経済学を切り拓いた
経済学者・スティグリッツの考え方も同様です。
菅首相の方針は、前者に近いと考えられます。専修大学の山田健太教授は「
顔や指紋、虹彩…進む国家管理」(琉球新報)との評論で、警鐘を鳴らしています。山田教授は「適切で具体的な説明で透明性を確保して信頼を得ること、利活用の際には自己情報コントロール権をきちんと担保すること、こうした諸外国で当たり前のことが何も実現していない。こんな状況の国で、利便性ばかりを高めても、それは情報を収集・利用する側の企業と、政府・政治家の一部が利するだけで、国民のプラスにならない。それどころが、大きなマイナスをもたらすことになるだろう」と指摘しています。
一方、
野党の立憲民主党は後者の路線を追求しています。同党は綱領で「科学技術の発展に貢献するとともに、個人の情報や権利が保護され、個人の生活が侵害されない社会をめざします」との基本方針を示しています。これはDXにおいても同様と考えられます。
つまり、
DXにおいても、自由民主党などの与党ブロックと立憲民主党などの野党ブロックは、基本方針で異なります。どちらもDXを進めることに異論はないとしても、
国家とデジタル界がタッグを組み、個人情報や公正さなどで多少の実害が生じても、デジタル化の発展を徹底的に追求する路線の与党ブロックを選択するのか、それとも
個人情報や公正さなどを損なわないように国家がルールを整備し、その枠内でのデジタル化を追求する路線の野党ブロックを選択するのか。
また、菅首相のDXは、国会や内閣のあり方など、自らに都合の悪い分野については含まず、恣意的に「選択と集中」するものです。人々に実害を及ぼす可能性は考慮せず、自らに実害を及ぼす可能性は真っ先に排除するというのは、行政の長として適切なのでしょうか。
菅首相がDXに本気ならば、答弁拒否と原稿の棒読みを改め、自らの言葉で真正面から答えることから始めるべきです。
菅首相のDXこそ、急務です。
<文/田中信一郎>